怨霊の出現と連鎖する死、そして自害「土佐の七人ミサキ」【その四】より続く
左京進と七人御崎の呪いには、元親も苦慮していた。そこで僧侶数十人を集め、仏壇と位牌を設け、読経供養をすることにした。
供養が始まると位牌が浮遊し、さらに、供養をまるであざ笑うかのように、遙か上空からどっと笑い声が聞こえてきた。それでも、元親は僧侶数十人による読経を32日間続けさせた。
しかし、僧侶のたちの中に怨霊により手足を曲げられる者、首をねじきられて死ぬ者が続出した。そこで、元親は近臣を集め、怨霊退散の協議をしたところ、同席した一名の童子が突然大声でしゃべりはじめた。
「我は左京進の使者である。仏なんぞに奉られても、成仏はしない。出来ることなら木塚山に神として奉って欲しい」
そう言うと息絶えてしまった。
早速そのようにしたところ、ようやく祟りは沈静化した。こうして、土佐を代表する「七人ミサキ」の伝説は完成したのである。
みてきたように、奸計によって死を選ばされた吉良左京進の怨念に端を発する「土佐の七人ミサキ」は、異様なまでの力を持つ怨霊であった。
冒頭で紹介したように、「七人ミサキ」は時代や地方によって異なった恐怖潭が語られており、「七人同行」「七人童子」「七人坊主」など様々なものが存在する。「七人ミサキ」を生んだ事件の現場付近には、七人の怨霊が現れると言われており、もし遭遇してしまうと、高熱などに犯され死んでしまうのだという。
また、「七人ミサキ」の話を語っただけでも厄災や祟りに見舞われるとも言われており、現代でも「七人ミサキ」が関連すると思われる事件がおき、新聞に取り上げられた事もある。
つまり、「七人ミサキ」の呪いは今も存在すると考えられているのである。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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