『お染ブラザーズ』の弟・海老一染之助が都内の病院で肺炎により死去した。
兄・染太郎は2002年に既に亡くなっており、以降は1人で活動していた。近年は足腰が弱っており、夫人や関係者の介助がなくては歩けない状態だったという。しかし、舞台に上がるとキレの良い動きを見せて、関係者を驚かせた。まさに芸人の鑑である。ちなみに息子はテレビ東京で報道局に勤務しているという。
「弟は肉体労働、兄は頭脳労働、これでギャラは同じです・・・」と言うギャグは定番だったが、実は兄・染太郎の方が芸が上手く、入門した時は兄の5倍努力しないと弟・染之助の芸は追いつかなかったという。
昭和21年にデビューしたベテラン芸人だが、戦後はGHQでの営業で荒稼ぎをしたらしい。米国軍人からのご祝儀(当時はUSドルの円に対する価値が今より全然高かった)がすごくて、なんと17歳で家を購入したのだ。もともと噺家の家に生まれたが、生活が苦しくて兄が伊勢神宮にルーツを持つ太神楽に入門した。弟である海老一染之助は、兄の背中を追ってそのまま入門した。
芸人としては稽古の虫であり、大声を出して練習するので、近所から夫婦喧嘩に間違えられて警察を呼ばれたことがあるという。
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ハリウッド・パレスの染乃助・染太郎
染之助のアイディアにより、「兄貴がしゃべり、弟が芸をする」というスタイルが確立したが、楽屋では芸をめぐって兄弟で喧嘩することが度々あったらしい。
意外にも一見気弱そうな兄・染太郎はキレることがあり、テレビのドッキリ企画でヤクザの宴会に呼ばれ、チンピラに弟が絡まれた時は兄がブチ切れた。一方、楽屋で兄・染太郎が後輩から馬鹿にされた時は弟がブチ切れた。基本的に双方で兄弟思いであったようだ。
兄・染太郎が亡くなった後、葬儀の場において弟・染之助は号泣しながら「おめでとうございます」と叫び兄を見送った。今頃は久しぶりに天国で兄弟揃ってベテラン芸を神々の前で披露していることだろう。
ものまね芸の四代目江戸家猫八も去年亡くなってしまい、昭和の芸を懐かしむ筆者にとっては寂しい限りである。(敬称略)
(山口敏太郎事務所 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像『染之助・染太郎のおめでとうございます』より