アメリカ初のUFO調査機関「プロジェクト・サイン」と「マンテル大尉機墜落事件」

【アメリカで初めて発足したUFO調査機関「プロジェクト・サイン」から続く】




1947年12月に誕生した「プロジェクト・サイン」にはのちにUFO分野で著名な存在となる、天文学者 J・アレン・ハイネック博士が顧問として就任することになった。そして同機関の誕生と前後して、UFOに関する別の可能性も浮上してきた。

当初は、UFOはソ連が開発してものだとすれば、自国でも開発が可能なはずだと考えられた。だが、開発に先立つ検証作業を行うと不可解な点があることがわかった。

当時のあらゆる航空用資材を検討しても、目撃情報から算出した飛行物体のスピードに耐えられるものが見つけられず、それ以前にそのような高速に人体が耐えられないということが明らかになったのだ。

この技術的な壁は非常に高く、UFOは人類が開発したものではない、とする見方が広まることになった。

こうして考え方は、空軍内だけでなくプロジェクト・サインの内部でも広がることになり、UFOに対する見解は別れることになった。




プロジェクト・サインの最初の調査対象となったのは、1948年1月7日に起きた「マンテル大尉機墜落事件」であった。本事件は以前にアトラスでも紹介しているので簡単に説明するに留めることにしよう。

ケンタッキー州の北部にある空軍基地に、三角形の未確認飛行物体の目撃情報が入電されたことを受け、マンテル大尉が操縦するFー51戦闘機が調査に向かうことになった。すると、マンテル大尉から「非常に大きな金属製の飛行物体を発見した」との無線連絡がもたらされた。

だが、「追尾を継続する」との連絡を最後に、マンテル大尉は消息を絶ってしまった。

捜索の結果、基地から150km離れた地点で戦闘機の残骸とマンテル大尉の遺体が発見されることになった、という事件である。

プロジェクト・サインが出した調査結果は、「スカイフック気球、又は金星と見間違えたのではないか」というものだった。

そしてこの同年、プロジェクト・サインの存在を揺るがすもう一つのUFO事件が発生したのである。

【次回へ続く】

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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the mantell UFO incident

画像©PIXABAY

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