この不思議な書名に関しては様々な説が唱えられている。
絵と漢詩の組み合わせが六十図になったとき、袁が李の背を推して、このあたりで良いと止めさせたため、「推背図」という書名になったとされているとか、ごく単純に予言を読ませ「背中を推す」ことにより、人を未来に進ませる意味だとか、或いは、ものごとの裏側(背中)から推し量り、未来の状況を把握するという意味であるとも言われている。
この予言書は歴代の中国の国家も気にしてきた。五代十国の時代には、「推背図」の予言に基づいて皇子の名前が決められていたり、元の時代に書かれた正史「宋史」にもその書名が見られるのである。
しかし、予言書故の不運か、度々政治的に利用され続け、現在では出版禁止にされている。当然の事だが、中国のインテリ層は、推背図は偽書であると明確に認識しているのだが、その書が社会不安を引き起こす可能性があることから、禁止処分にしているのだ。
しかも、表現があまりにも曖昧で如何様にも解釈ができ、解釈の仕方によってはどんな歴史的事件を当てはめても適合してしまう可能性があり、ノストラダムスの諸世紀のように深読みの結果、予言書扱いされたともいえる。
新聞「大紀元」は中国共産党と犬猿の仲だが、『推背図』の第四十七象の図(ひとつの書棚を描いているだけの絵)から、2005年中に中国共産党が滅ぶと解読したが的中はしなかった。
但し、この「推背図」の予言は決して意味不明な出鱈目を並べたものではなく、易の理論に基づいて書かれた易の奥義書なのだ。
次回はもう少し詳しく「推背図」の内容に迫ってみよう。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像『古代中国の大予言書「推背図」開封 (超知ライブラリー) 』表紙より