妖怪

昭和の高度経済成長時代と共に拡散した「お菊人形」伝説

 かつて高度経済成長時代の日本を、震撼させた超常現象はいくつか存在した。

 スプーンまげや、遠隔による時計の修理などで一世を風靡した超能力者ユリ・ゲラー、矢追純一氏が日本テレビで盛んに仕掛けたUFO番組の宇宙人や謎の飛行物体、作家五島勉氏がベストセラーを出しまくったノストラダムスの予言本、他にも漫画界に視線を移せば、「うしろの百太郎」「恐怖新聞」で人気を集めた心霊漫画家のつのだじろう氏、当然オカルト業界も全盛期で、佐藤有文氏や中岡俊哉氏が日本中の怪異を調査しては、発表していた。

 まさに日本のオカルト業界の夜明けであり、素晴らしき時代でもあった。




 その当時、昭和の子供たちの視線を釘付けにする怪異が登場した。それが「お菊人形」であった。なんと人形の髪の毛が伸びるのである。まさか、嘘だろう?!世間はびっくり仰天した。そんなはずはないと言いながらも、お菊人形の持つ不思議なムードに加え、人形にまつわる悲しい伝説を聞くに当たり、さもありなんと人々はその因縁に納得した。かくして、「お菊人形」は昭和の怪談として伝説になったのだ。

 さてここで、お菊人形の言われについて述べておこう。
 大正七年に時代は遡る。鈴木永吉は、札幌市にて開催された大正博覧会を見物に出かけた。その際8月15日に狸小路の某商店で、妹へのお土産として一体の人形を購入した。妹によく似たとオカッパのかわいい人形であった。

 人形を与えられた菊子は 大変喜び、兄の永吉に何度も礼を言った。そして、毎日のように人形と楽しく遊んでいた。だが菊子に突然の不幸が襲いかかる。大正八年1月24日菊子は3才にして死亡してしまったのだ。
 家族は、不覚にも葬儀の際、お館に大切にしていた人形を入れ持たせてやるのを忘れた。その為、遺骨と人形を共に奉り、毎日供養していると不思議な事に人形の髪が伸び始めたという。これは幼くして亡くなった菊子の怨念が人形に残り、このような怪異をなすのだと評判となった。

 その後、兄永吉が樺太に移転することになった。昭和13年8月16日妹・菊子と父親助七の遺骨と人形を万念寺に委託し旅立った。
 終戦後、永吉が引き揚げて、万念寺にて追善供養をしようと参詣し、確認したところ以前、寺に納めた時より髪の毛がのびており、お人形を万念寺に納め先祖代々供養を依頼したという。その後も髪の毛は伸び続け、いつしか、亡くなった菊子から「お菊人形」と呼ばれるようになった。




当時から町おこしのための演出だとか、人間の髪の毛を使っているので、水分を含むと伸びるとか言われ、肯定派否定派入り乱れての大論争になった。
 当然、お菊人形の不思議な現象は現実の現象であり、事実である。科学でも説明できない事が起こってしまったのである。ちなみに今の世は、怪異なネタに満ちあふれ、お菊人形がTVや雑誌に載ることは少なくなったが、お菊人形自身はどう思っているだろうか。人間達の一時的な喧噪を苦笑いしているのかもしれない。よく考えてみれば、人形は人の形をかたどったものである。

 人の形をしたものには、「魂」が宿りやすい。そして、「魂」の宿ったモノは必ず怪異を引き起こすのだ。その証拠に、人形を川に流し、禊ぎを払う儀式が今も各地にあるし、陰陽道で使う式神もヒトガタである。
 ひょっとしたら「お菊人形」は菊子の想いをのせて川に流されるべき「ヒトガタ」であったのかもしれない。

(山口敏太郎事務所 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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