【前編から続く】
第二章 ヌリカベ系妖怪成立の推理
無事「ヌリカベ」系妖怪が私たち日本人の心に残っているのが確認されたが、ではこの魅力的な妖怪はいかにして成立したのであろうか?今回いくつかの材料を元に推理を展開してみたい。
まずこの「ヌリカベ」「カベヌリ」が大分、特に臼杵市という町から発見された点である。臼杵は磨崖仏で非常に有名であると同時にしっくい壁の技術において非常に優れた町である。
さらに、渡来人の多い事も見逃せない。つまり臼杵は大陸や半島からの先端技術が入りやすい町であったのだ。有名なところでは海外ドラマ「ショーグン」のモデルになった三浦按針(ウイリアムアダムス)が上陸したのも臼杵である。また珍元明というしっくい壁の技術者も多くの弟子を帯同し、定住しているのだ。しかも、子孫もいまだに健在である。この珍元明の作る壁は、当時では異色であった油漆喰という先端技術であった。
なんとこの壁、雨や水をはじく撥水加工がもどこされていたのである。この壁が水をはじく様を見て当時の人の驚きはいか程であったろうか?この先端技術への畏怖が実際に夜出会った怪現象と結びつき「カベヌリ」「ヌリカベ」という個性的ビジュアルを持った妖怪の創造に役立ったのであろう。しっくい壁の町であるが故、いきどまりの怪を「カベ」というビジュアルで表現したのであろう。
同じように夜道を歩く人々の通行を妨げた妖怪は、各地にいる。
「フスマ」「布団かぶせ」「蚊帳つり狸」「あしまがり」「すねこすり」などがそうである。どの妖怪もいづれも違ったビジュアルを有している。これはあくまで個人的類推ではあるが、「襖」、「布団」「蚊帳」といういづれも男の夜遊びを連想させるビジュアルである。
これらは性的夜遊びを妖怪を持って表現したものである。この事からも、壁の先端技術の町が、通行を妨げる妖怪のビジュアルや、名前に「かべ」を使用しても不思議ではない。
では、かつて大分県の人々の間で、交通を妨げる怪現象が起っていたのであろうか?このように沢山の伝承がある以上、なんらかの現象がおきていたのであろう。江戸~戦前ぐらいまでは体験談として語られていた。その現象とは一体何であろうか?
私はビタミンの欠乏が原因かと推測している。江戸の中期にそれまで食べていた玄米をやめて、庶民は白米を食べるようになった。つまり精米によってビタミンが豊富な部分が取り除かれるようになったのだ。当然、当時の人々にビタミンという概念があったとも思えない。ビタミン補給剤もなかったであろうし、ビタミンの不足が発生したのは必然だったのだろう。
こうして、ビタミンAの不足は夜盲症を引き起こし、ビタミンB1の不足はかっけを引き起こしたのである。ちなみに江戸時代に、しきりに「うなぎを食う」ようにと平賀源内先生のコピーで奨励されたのは、ウナギに豊富なビタミンが含まれている事を本能的に感づいていたのかもしれない。
この2つの症状は「カベヌリ」「ヌリカベ」の引き起こした怪現象に似てないだろうか?「かっけ」で不自由な足の運びは、交通の妨げに感じただろうし、「夜盲症」により周りが見えなくなる現象は、まるで巨大な壁につきあたったかのごとく感じたのかもしれない。何故だかわからない人々の恐怖は凄まじいものではなかったではないか。近代栄養学の概念のなかった当時、おびえた人々は、狐狸のいたづらか、何らかの妖怪の仕業かと思った事だろう。
つまり、食の変化によって生じた身体状態を怪現象としてとらえ、そのビジュアルに当時のハイテクの象徴である「しっくい壁」を与え、妖怪「カベヌリ」「ヌリカベ」を誕生させたのかもしれない。
当時の栄養状態から生まれた妖怪「カベヌリ」「ヌリカベ」。これはあくまで、私の推理であるわけですが、今後の考察における参考となれば幸いである。
かつては反映したと思われる妖怪「カベヌリ」「ヌリカベ」族ですが、今は大分で名称が確認されるのみだ。
いまもどこかで未知の「カベヌリ」「ヌリカベ」情報が眠っているかもしれません。いつかその伝承に出会う為、私の妖怪ハンターの旅は続く。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)
※画像は『ゲゲゲの鬼太郎(1) (水木しげる漫画大全集) 』表紙より
ゲゲゲの鬼太郎