以前、アトラスにて筆者である山口敏太郎は千葉県に存在する将門の遺跡「七天王塚」に関する考察を紹介した。
この七天王塚で調査を行ったところ、霊的なものかは不明であるが関係者に体調異変が頻発するなどの異変が起き、結局お祓いを受ける流れになった。今回の記事はその時を思い出しながらのものである。
「この千葉大付近は、七天王塚の他にも多くの史跡が存在しているようだ」
追跡調査を行っていた筆者だが、取材していくうちに「塚の祟り」とも言うべき殺人事件とその噂に行き当たった。幾つかの証言を住民数名から得た筆者は、その現場に向かった。
なんと20数年前に起こった「千葉大女医殺人事件」の舞台となった住宅が史跡地だったのである。冤罪騒ぎでワイドショーでも報道され、覚えている方もいるだろう。詳細な場所は記載できないが、千葉大医学部に勤務する夫婦がおり、付近に一戸建てを購入したのだが、その一戸建ては石碑があった史跡地に建てられていたのである。
しかも、石碑を移設したのならともかく、地中に埋めてその上に家を建てたというのだからおぞましい。その家に住み始めてまもなく、夫はソープ嬢やフィリピン女性の愛人に入れあげ、金遣いが荒くなったという。そして、ガス爆発に見せかけ妻を殺害しようとした事が、本人に発覚し、ついには逃げる妻を路上で絞殺し、素知らぬふりをしていたのだ。
その後、犯人の夫は獄中で自殺した。しかも、その自殺方法が異常であった。畳の藁を束ねて首に巻き付け、その藁の内側にボールペンを差し込みペンを廻しながら首をしめていくというものであった。そんとも凄まじい事件だが、やはり石碑の呪いであるのだろうか。
ふと、その事件の舞台となった場所を見て驚いた。その場所と、某公園となっている場所に史跡があるものとし、千葉大学構内の5つの塚と線で結ぶと「完璧な北斗七星」になるのだ。
現在、外側にある2箇所では、いくら線をひいても、違和感のある北斗七星であったが、この二つと結ぶと完璧である。ひょっとすると元々は事件のあった場所と公園が七天王塚ではなかったのか。だとすると外側にある二つの塚はいったいなんだ!
飲食店のご主人の言葉が浮かんだ。
「この二つの塚も移動してきて…」
七天王塚は移設されていたのか、必要以上に祟り続けるその背景には、システムの破壊という恨みがあるのではないだろうか。ある種の結論に、筆者は慄然とさせられた。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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