【戦争に纏わる怪談】幽霊戦艦

 軍艦・矢矧(やはぎ)には幽霊の出る部屋があったという。

 太平洋戦争で活躍した矢矧ではなく、日露戦争後に明治45年7月に長崎の三菱造船所でこしらえた二等巡洋艦の平戸型の船である。

 元軍人・梶原氏の証言によると、大正8,9年の事、同鑑に配属された氏は、砲術士を任じられた。通常は次室士官クラスは、ハンモックで寝るのだが、砲術の担当の場合、事務もあるので自分用の部屋を希望していた。

 鑑内を調べると予備室があるので、高井副長に許可をとりにいった。すると副長はいきなり怒鳴りつけた。

「次室士官のくせに、ハンモックでたくさんだ」

 しかし、氏は副長に黙ってその部屋に忍び込んだ。部屋はマストの一側にあり、左舷の梯子のすぐ下であった。部下に荷物を運ばせ、その晩から勝手にその部屋に住み着いてしまった。

 その晩、横須賀に転任する先任者の山手中尉の送別会になった。強かに呑んだが、山手中尉がさめざめと泣いてこういった。

「梶原さん、僕は一週間後には、この世にはいない」

「いったいどういうわけだ」

「今は言えない、でもあの予備室だけはやめておいたほうがいい」

 不思議に思いながらも深夜2時まで呑み、問題の部屋に戻ってきて、いい気持ちで寝た。毛布を三枚かけて寝たが、どうも寒いと思って目を覚ますと、毛布が一枚も無い。ふと船窓を見ると、外の月あかりでボウツと明るい光が射し込んでくる。

 そして、その窓から次から次に黒い影が入ってくる。一人が入り込むと、次の黒い影が入ってくる。全身が凍りついたようになり、声さえもでない。ようやく、ドアまでたどり着くが恐怖でうまくノブが廻らず、ドアを突き破り手をつきだし、巡回の伍長に助けられた。

 翌日、高井副長と矢削水雷長がやってきて説明するには、あの予備室は鑑の鬼門であるという。




 大正7年6月、世界大戦で活躍した第一特務艦隊の一角としてこの鑑が参加した時、艦内で赤痢が発生し、400名中十数名しか動けない状態であった。更に、満足な治療もできず死亡した死体を投げ込んでいたのが、あの部屋であったらしいのだ。

 その後、伊勢湾に停泊中に、特別に渥美湾に回航し矢矧神社に鑑の武運長久を祈ると同時に怨霊退散を祈念したという。それ以来、妙な噂はなくなったという。

 ちなみに、転任していった山手中尉は、親に反対された恋人と自殺した。山手中尉は度々あの予備室に入り込み、恋人を想っていたらしく、怨霊につけこまれたのではないかという事であった。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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