なんと実話!阿波の化け猫騒動「お松大権現」伝説。猫だらけの神社の由来がこちら【徳島】

歴史と伝説担当のライター、妙見です。

みなさんは化け猫についてどんなイメージを持っていますか?

日本には、人を驚かすだけのかわいらしい化け猫から人を食い殺す恐ろしいものまでいろいろな化け猫伝説が残されています。昔の人々は猫の夜行性や俊敏性をモデルに様々な化け猫を想像したのでしょう。

今回はそういった化け猫伝説の中でも珍しい「飼い主の敵を討つ猫」をご紹介しましょう。日本三大怪猫伝の1つとしても有名なお松大権現の伝説です。

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飼い主の恨みを果たす猫!お松大権現の悲しい由来

舞台はおよそ330年前の阿波国(現在の徳島県)の加茂村。この村には惣兵衛とお松という夫婦がいました。二人には子供がおらず、飼い猫の三毛をかわいがって暮らしていたといいます。


(美人と評判だったお松さんと飼い猫の「三毛」)

当時、村では不作が続き暮らしに困る状態でした。そこで村の代表である庄屋の惣兵衛は、五反の土地(サッカーグラウンド半分くらいの広さ)を担保に野上三左衛門というお金持ちからお金を借りることにします。この機転のおかげで村は持ち直すことができました。

その後、惣兵衛は三左衛門に借金の返済をします。ですがこの時、三左衛門は「証文は後で届けるから」と言ってお金だけ受け取って帰ってしまいます。そしてあろうことか後になって「まだ金を返してもらっていない!」などと言い始めるのです。

さらに不幸が重なり、惣兵衛はこのゴタゴタのさなか病で亡くなってしまいました。

のこされた妻のお松は何度も三左衛門に証文を返すよう掛け合います。ですが三左衛門は全く相手にせず、担保だった五反の土地まで奪い取ってしまう始末。

あまりの行いにお松は奉行所に訴えます。


(奉行所で裁判を受ける三左衛門とお松)

ですがお金持ちの三左衛門から袖の下(賄賂)を受け取っていた長谷川奉行は三左衛門の言い分を認める非道な判決を下すのでした。

この両者の金と権力をかさに来た仕打ちにお松は決死の覚悟を決めます。それは「直訴」。当時直訴は死刑となる重罪でした。

藩主の行列を横切り、殿様に直訴するお松。あたりは騒然となります。すぐにお松は捕らえられ、死刑を言い渡されるのでした。

そしてお松が処刑されようとするその時。処刑場にはお松を守るように小さな体を逆立てる三毛の姿がありました。

ですが三毛の奮闘もむなしく、姿無慈悲にも冷たい刃がふり落とされます。貞享3年(1686年)3月15日のことでした。

ですが事件はここで終わりません。お松の処刑後、なんと三左衛門や奉行の家に「怪猫」が現れるという怪事件が起きるのです。

それは三毛がお松の怒りと恨みを引き継ぎ復讐のために化けた姿でした。猫の祟りを受けた両家は様々な不幸が続き、やがて断絶の憂き目にあうのです。

こうしてお松の正義を貫いた姿勢と悲しい生涯をしのび、村の人々はお松を猫とともにおまつりするようになりました。それが現在の「お松大権現」の始まりです。

「猫神さま」としてのお松大権現

現在のお松大権現は苦難の復讐を遂げたことから勝負事の神様として知られ、合格祈願の参詣者にも人気の神社です。

資料館には有名な切り絵作家宮田雅之さんの美しい作品によってお松さんの逸話が紹介されてます。

またお松さんの飼い猫三毛が復讐を果たしたことからこの神社は「猫神さま」としても広く親しまれています。

この神社を訪れてまず驚くのは、見たわす限りの猫!猫!猫!


(丁重にまつられる「お猫さま」)


(狛犬ならぬ狛猫)


(猫不動)

拝殿は猫のモチーフで飾られています。

圧倒されるのは、所せましと置かれた大量の招き猫たち。なんとおよそ1万体の招き猫が奉納されているのだとか。

お松大権現では、願掛けのために招き猫をお借りできる習わしがあります。招き猫をお借りして家でおまつりし、願いが叶ったら(もしくは1年後)新しい招き猫と一緒にお返しするのだそうです。

なるほど、びっしりと並べられた招き猫たちをよく見ると、何度か借主たちの願いを叶えてあげたと思われる招き猫もありました。

まさに「猫神さま」の神社です。

そして全国的にも珍しい猫のご神紋も魅力的。


(ご神紋をかたどった扉)

宮司さんによると、このご神紋は猫が香箱座りをした姿をかたどっているのだとか。たしかによく見ると猫の顔を囲っている線には上下に小さいでっぱりがありますが、これは尻尾や前足だったんですね。

かわいくて珍しいご神紋であることから、御朱印をいただく方も多いそうですよ。


(筆者もいただいてきたお松大権現の御朱印)

どこか愛嬌のあるご神紋が素敵です。

奉行も恐れたお松さんの祟り

先ほどもご紹介した、お松さんに非道な判決を下したとされる長谷川奉行。長谷川家は徳島藩家老の家柄でしたが、怪猫の祟りにあった後に不運が続き失脚します。

そこで祟りを恐れた長谷川家は別邸のあった王子神社にお松さんとその飼い猫をまつる祠(ほこら)を建てました。

王子神社では猫の名前は「お玉」と伝えられていて、現在でも「お松大明神」と「お玉大明神」として二人とも大切におまつりされています。

家老という身分の高い武家が庄屋とは言え一介の女性と猫を丁重におまつりするだなんて、よほどお松さんと猫が怖かったのでしょう。

村人がおまつりした「お松大権現」と、家老が建てた王子神社の「お松さんと猫の祠」。同じ女性と猫をおまつりする場所が二ヶ所もあるのですね。

当時の人々にとってこの「阿波の猫騒動」がいかにインパクトがあったのかがわかります。

伝説の「五反の土地」の今

悲劇の発端となった「五反の土地」はその後どうなったのでしょうか?

実はこの土地、事件のあと何度か持ち主を変えましたが、その度に怪事が起きたのでだんだんと貰い手がなくなってしまったといいます。


(本当にだだっ広い伝説の「五反地」)

この土地をめぐる事件さえおきなければ、お松さんと三毛は穏やかな人生を終えることができたのかもしれません。

宮司さんいわく元々は肥沃で日当たりのよい土地だったとのことですが、今はお松さんの悲しい思い出とともに神社の管理となっています。

いかがだったでしょうか?一人の女性とその愛猫の悲しい出来事についてご紹介してきました。お松大権現は、もともとはお松さんのお墓を地元の方々がひっそりとおまつりしていたのが始まりだといいます。


(境内にあるお松さんのお墓)

当時は直訴という大罪をはたらいた上に家老を祟ったということで藩主に目をつけられないようにという配慮だったのでしょう。現在のような神社として大きくおまつりされるようになったのは明治に入ってからだそうです。

命がけで不正を訴えたお松さんとその恨みを果たした三毛、またそんなお松さんをずっとおまつりし続けた地元の方々。その強い意思は生き続け、「猫神さん」として今も広く愛されています。

(不思議NET 妙見)

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