呪術

羽化登仙 人間から仙人へと姿を変えた偉人たち

 仙人たちが修行した結果、到達した境地の世界が『仙人界』である。

 仙人とは、僊人や羽人と表現され、道士や方士が不老不死や天空飛行を目指し道教修行した結果、到達した最高レベルの術者を指すのだが、その仙人たちが気ぜわしい俗世間から隠遁して、暮らす世界が『仙人界』である。これ仙人や仙術という概念は、戦国時代末期(前3世紀)に山東半島を中心に生まれたと推測されている。




 この方士で最も有名なのが、秦の始皇帝の勅命を受け、東海にある仙島(瀛洲、蓬莱、方丈という仙人の島が三つ東海には存在すると考えられた)に仙薬を求めて出航した徐福である。この仙島は日本であると言われており、日本各地に徐福伝説が残ることから、日本に到達したのではないかと言われている。

 この仙薬は「蓬莱山=富士山説が有力である」にあると言われており、徐福は日本中でその薬を探し待った可能性がある。この仙薬は、垂仁天皇の命を受けて田道間守が常世国に行き、不老不死の妙薬「非時香果」を探した逸話とリンクしており、同じ薬であったとも言われている。

 他にも仙術を会得していたとされる著名人は多い。三国志において名軍師として知られる呂尚や諸葛亮も仙術を学習していたと言われており、韓湘子というイケメン仙人や、西王母、麻姑仙人(仙女)などの女仙人の伝承も残されている。

 日本で最も有名な仙人と言えば、久米仙人(別名、毛堅仙)をおいて他にいない。久米寺(奈良県橿原市)の開祖とされる伝説上の存在だが、『七大寺巡礼私記』、『元亨釈書』、『扶桑略記』、『久米寺流記』などに記されており、モデルとなった人物が実在した可能性はありうる。



 『今昔物語』によると、大和国吉野にある竜門寺で久米仙人は同僚の安曇と共に仙術修業に明け暮れていた。やがて、自在に飛行できる能力を得て滑空していたところ、川で洗濯をしていた女の足に見とれて墜落、その女を妻にして還俗したと言われている。

 なかなかお茶目な仙人だが、地元では人気者らしく、橿原市では毎年”久米仙人まつり”が催され、数十名の女性や仙人装束の人が浴衣で踊る”仙人踊り”は多くの観光客の目を楽しませている。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像©PIXABAY