妖怪

昭和の妖怪・口裂け女は岐阜の心霊スポット・鶯谷トンネルで生まれた!?

 昭和の頃、日本中の子供たちを恐怖に陥れ、強いては大人たちも巻き込み、各地で警察の出動騒動を引き起こした口裂け女について論考をしてみたい。

 この口裂け女伝説は、昭和に発生した現代の妖怪伝説として有名であり、1978年に岐阜から噂がスタートしたとされている。そして口裂け女の噂は京都・名古屋に伝播し、東京に進出すると一気に全国メジャー妖怪にのし上がった。この頃は当然インターネットもなく、口コミとメディアに交互に乗ることで人々に伝わっていったと推測されている。




 この頃、岐阜の各地で口の裂けた女妖怪の目撃談が噂されていた。その発生箇所には複数の説がある。大垣市とも岐阜市とも数々の噂がある中で、有力な仮説のひとつが「岐阜市金華山・鶯谷トンネル発生説」である。

 この金華山・鶯谷トンネルは、元々心霊スポットとして知られていた。地元の飲食店オーナーH氏の話によると「この町はずれで口の裂けた女の幽霊がタクシーを拾い、このトンネルで降りた後、消えてしまう」という話が流布されていたという。




 また、戦時中は防空壕にも使用されており、大勢の犠牲者も出たとされている。戦時中の犠牲者が、口の裂けた女幽霊なのであろうか。どちらにしろ、この金華山・鶯谷トンネルの口の裂けた女幽霊こそ、口裂け女伝説のモチーフになった可能性はありうる。

 さて、この金華山はかつて戦国大名の斉藤家が名城を作りあげた天然の要塞であり、織田信長が岐阜城として拠点にし『天下布武』という名文句が唱えられた場所でもある。信長は何故この山にこだわったのか、何の目的でこの城を岐阜と名付けたのであろうか。筆者はここに妖怪・口裂け女が生まれる更に深い理由が隠されていると考えているのだが、それは次回以降にしたい。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像は『口裂け女 スペシャル・エディション [DVD]』ジャケット写真