不思議な事だが、どの世代にも「学校の怪談」は伝承されている。
六十-七十代の老人たちには、「赤マント」、五十代には「赤い紙 青い紙」、四十代・三十代には「口裂け女」「人面犬」、二十代には「花子さん」。時代時代を超えて「学校の怪談」は生き続けている。つまり、時代の変遷やブームに左右される事なく、常に「学校の怪談」は伝承され続けている。
何故、ここまで「学校の怪談」がもてはやされるのか・・・それは学校というものが現代日本に残った数少ない共同体であるからだ。集落という地域性の強い共同体が都会への一極集中で崩壊し、さらに会社という目的を共有する職能的共同体も、終身雇用という幻想の崩壊と共に消失した。
今や宗旨や血統・哲学・家業の違う人々が、無理してでも協力して何かを推進する共同体は、学校をおいて存在していない。つまり、学校は”怪談をはぐくむ”可能性のある唯一の共同体である。
考えてみれば、この学校という共同体が、怪談を育成するには理由がある。
卒業という形で代替わりが行われ、子供と大人という常民と異人に適合する図式も存在し、話の伝承を行ううえでの条件が全て揃っている。つまり、学校という囲いに囲まれた空間しか、現在の日本では怪談を伝承・保存できないのだ。
怪談さえ生まれない社会、怪談を超える現実での絶望感が人々の心を疲弊させている。あまりにも不幸な時代ではないか。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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