17世紀のヨーロッパ各地を渡り歩いていた錬金術士アレクサンダー・シートン。彼はどのようにしてか錬金術を体得、黄金変成に成功し、行く先々でその技を披露して回ったという記録がいくつも残されている。
スコットランドに生まれたシートンは、オランダ人船長の知遇を得てオランダに連れて行ってもらうことになった。
オランダに到着すると、シートンは船長の家族たちの前で、錬金術によって鉛を金に変え、船長一家にその金をプレゼントした。
その金による資金的な恩恵は、船長一家の孫の代まで続いたという。
ドイツに渡ったシートンは、当地で錬金術が存在するかどうか、ある人物と議論になった。学者の立ち会いのもと、シートンは錬金術を披露した。溶けた鉛にパラパラと粉末をふりかける。すると鉛は金に変化した。
この金を専門家に見せてみると、「紛れも無く金で、それも高純度のものだ」と言われたのだという。
議論した人物は大学教授で、実際にその驚くべき体験を記した手紙は今も残されている。その後もシートンはヨーロッパ各地を周りながら、錬金術を披露する。
特に錬金術の否定論者の前でやって見せることが多く、どう調べても金が変成されたとしか思えないという記録が残っている。また、弟子などにも気前よくその不思議な粉を譲り渡したようで、シートンから粉を授けられた弟子たちはみな黄金変成に成功したという。
どうやらシートンは、錬金術の有効性を広めたくてこうして様々な人間の前で黄金変成を行っていたようだが、このことが不幸を招く。
シートンの錬金術士の評判を聞きつけたザクセンの選帝侯に呼ばれ、錬金術を見せたところ、シートンは捕らえられてしまう。賢者の石を作るよう命じられたが、その秘密を明かさなかったシートンは牢に入れられてしまったのだ。
ミカエル・センディヴォギウスという錬金術士がシートンの境遇を憐れみ牢から救出したが、衰弱したシートンは間もなく息を引き取ってしまうのであった。
センディヴォギウスはシートンの生前に粉末を譲りうけており、センディヴォギウスがその粉末を使ってみると鉛から金を変成出来た。その噂を知った神聖ローマ帝国の皇帝ルドルフ2世に呼ばれ、その粉を使った黄金変成を披露することになった。
シートンの粉を使ってルドルフ2世が準備した人間が行ったところ、たしかに金が変成された。
だが、シートンから譲り受けた粉末が無くなってからは黄金変成に成功せず、センディヴォギウスの余生は貧しいものだったという。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)