「上を向いて歩こう」「明日があるさ」「見上げてごらん夜の星を」など多くのヒット曲を持つ坂本九。今や非業の最期を遂げた歌手のイメージが強いが、筆者が子供の頃は、NHKの人形劇「里見八犬伝」の狂言回しを演じる陽気なマルチタレントであった。

 この坂本九には、非常に興味深い逸話が多い。
 



 坂本九は1985年の日航墜落事故で死去してしまうのだが、同機には坂本以外にも著名人が多く搭乗しており、阪神タイガースの中埜肇球団社長、元宝塚歌劇団の北原遥子さん、ハウス食品の社長などが死亡している。

 だが、日航機墜落事故と坂本九の間には不思議なシンクロニシティがあるのは事実だ。

 実はこの事故に数字の9が何度も何度も絡んでくるというのだ。坂本九がこの飛行機に乗ったのは、元マネージャーの選挙応援に行く為にこの飛行機に乗り合わせたのだが、この選挙の投票日が9月9日だったし、坂本九の遺体が発見されたのは事故から99時間後の午前9時であったのだ。更に、収容された遺体袋のナンバーが333で足して9になり、生前最後に出演した番組「クロスファイブ」は99回目で9周年であった。坂本九は人生までも”9”という数字に支配されてしまったのだろうか。

 逆に坂本九が不思議な偶然に命を救われた事がある。坂本九は生前笠間稲荷神社を信仰していたのだが、その強い信仰心の背景には子供時代の不思議な体験があった。 子供時代、坂本九は母親と常磐線に乗っていた。すると不思議な老人がやってきて『この車両は危ないので、違う車両へと移れ』と言う。

 あまりの迫力に押されそのとおりにしたのだが、その直後電車が脱線してしまった。不気味なことだがあのままあの車両に乗っていたら親子とも命がなかった。坂本はあの老人は笠間稲荷だったのではないかと晩年まで思っていたという。

 天命だったのだろうか、何故か日航機墜落事故の際は命が救われることがなかった。




 また、間一髪で命を救われた強運な人物もいる。明石家さんまは、この日航機に搭乗する予定だったが、 搭乗を1便早めたため難を逃れている。また、逸見太郎氏本人から直接聞いたのだが、逸見一家も祖母のアドバイスにより、新幹線に変えて事故をまぬがれている。

 何か一瞬の偶然が人間の命を左右することもあるようだ。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)

画像は『坂本九 ベスト30』ジャケットより




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