朝比奈三郎は宮城県黒川郡大和町に伝わる伝説上の巨人である。
ある日、彼は弓の稽古をしようとしたが、ちょうど良い的がなかったために的となる山を作ることにした。そこで、まずタンガラ(背負籠)を作って鹿島台辺りから一杯に土を入れて七回運んだ。その結果、出来上がったのが的山(薬莱山と矢喰山)の二山である。
また彼が土を運ぶ途中に一回ずつ休む度にこぼれた土は固まって7つの山になった。この山が現在の七つ森で、山を作るために土を掘った所が品井沼、朝比奈三郎が歩いた道は吉田川になったとされている。最後に、タンガラに残った土で出来た山はたんがら森と呼ばれるようになった。
この朝比奈三郎だが、じつはモデルになった人物がいる。
それが朝比奈義秀で、鎌倉時代初期の剛力で知られた武将である。彼の活躍は同時代の歴史書『吾妻鏡』に詳しい。
彼は後に敗戦して逃げ延びることとなるのだが、彼の退場を惜しんだ当時の人々が伝説上の人物の名前にして活躍を伝え続けようとしたのではないか、とみられている。
(加藤史規 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)