事件

心理学者・福来友吉の受難!!リアル「リング」貞子は実在した

日本ホラー界に一大センセーションを巻き起こした鈴木光司の「リング」。貞子の強烈な印象は今なおホラー界で伝説となっているが、この話は「不幸の手紙」をベースとし、明治時代に起こった「千里眼事件」をモデルにしている。
千里眼超能力者の中には高橋貞子という女性も実在しているのだ。

この事件の発端は心理学者・福来友吉の千里眼実験である。福来友吉の千里眼実験はかの芥川龍之介も注目していたほどである。現在でも超能力はしばしメディアに取り上げられるが、その道の先駆者である福来友吉の実像はほとんど取り上げられない。それは否定派の弾圧を受け超能力者の中に被害者を出すに至った負い目から、千里眼事件もろとも触れたくない過去であるのかもしれない。




福来友吉は東京帝国大学文科大学心理学助教授であった。ある日、福来の元に「千里眼」を持つ女性がいるので調べてほしいと依頼者が訪ねてきた。千里眼とは失せ物の在処や失踪人の所在地を教えたり、見えない状態にされた物体を言い当てたりする能力である。
福来が紹介された女性は熊本在住の御船千鶴子といった。精神病理学の第一人者である今村新吉と供に熊本に足を運んだ福来は、千鶴子に千里眼実験を行う。一回目は失敗に終わったが、二回目は見事に的中した。この結果を東京で発表すると、学者やマスコミに一躍脚光を浴びるようになった。

こうして明治43年、立会人を交え東京で公開実験が行なわれた。立会人はいずれも著名な学者十数名であった。
ところがこの実験は失敗に終わる。実験に使う鉛管のすり替えが行われ、千鶴子の能力の真偽が定まらなかったのである。二度目の公開実験では好成績を残したが、千鶴子の透視方法が立会人に背を向けたものであったため、疑惑を払拭することができなかった。

千里眼実験をする福来の元に、もう一人の超能力者が姿を現す。長尾郁子といい、千鶴子との決定的な違いは、立会人と相対した位置で透視を行える点であった。
福来は郁子に、初めて「念写」の実験を行った。そして千鶴子の場合は失敗に終わった念写実験を、郁子は見事に成功させたのである。だが念写実験にも否定派からの妨害行為が相次ぎ、真偽を確かめるに至らなかった。世間を騒がせた千里眼能力者達は一転、手品やペテン師とレッテルを貼られ非難の対象になってしまったのである。
また熊本に戻ってた千鶴子が自殺をし、さらにその直ぐ後に郁子も病死をしてしまい、福来は非難の的となり、千里眼実験も停止状態になってしまった。




こうして時代は明治から大正に移り変わるのだが、そこでまた一人の超能力者と出会う。高橋貞子である。福来は高橋貞子と研究を進め、「透視と念写」という本を出版した。否定派に対し「透視も念写も事実である」と反撃をしたが、近代国家を目指す日本において心霊的な諸現象は迷信と排斥され、福来の実験も東京帝国大学の権威をおびやかすものとみなされた。結果、東京帝国大学を追われることになってしまったのだ。

晩年の福来はオカルト的精神研究に没頭する様になる。千里眼事件とともに、福来の存在も歴史の闇に埋もれていった。福来の研究に科学的な再考証が行われた暁には、今日まで謎とされている超能力について答えが導きだせるのかもしれない。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)

画像は『透視と念写(復刻版)』表紙より