2006年3月ネッシーに関する衝撃的ニュースがあった。グラスゴー大学構内の博物館に勤務する古生物学者ニール・クラーク博士によって、ネッシーの正体は、湖を遊泳する象だったとBBCにて発表されたのである。氏によると1930年代初頭、サーカス団が巡業の合間にネス湖に立ち寄って象を始めとする動物たちを休憩させていたことから「ネス湖で水浴びするサーカスの象をネッシーの首と誤認した」という結論を導き出したという。無論、この象説で全てが解決できない、一枚の写真解釈のみに立脚した噴飯ものの新説だが、このようにUMAの幻想を打ち破る報道が最近多い。
記憶に新しいところでは外科医の写真事件がある。1934年4月の事、ロンドンの外科医・ロバート・ケネス・ウィルソン氏が友人と共にネッシーの撮影に成功した。「外科医の写真」と喧伝されたネッシー写真は世界に配信され、大騒ぎとなった。しかし、1993年11月にウィルソンの友人であったクリチャン・スパーリングが遺言で『外科医の写真』はおもちゃの潜水艦にヘビの模型を付けたトリックであったと告白し、これまた騒ぎとなった。これも象説同様、全てのネッシーの目撃談の否定にはつながらないものの、UMAファンタジーを大きく崩壊させた。
ネッシーと並び外国UMAの双璧イエティでさえも、その例外ではない。2003年9月日本山岳会青森支部長・根深誠氏は「イエティと考えられていたのはヒグマの一種」とする調査結果を発表した。その内容によると、雪男つまり、シェルパ語で「イエティ」と呼ばれる存在は、別名「メティ」とも呼ばれ、シェルパ族以外の言語では「メティ」をヒグマの1種「ヒマラヤン・ブラウン・ベア」と同義語としている事から、「イエティはメティ(ヒグマ)の一種」と結論付けたという。確かにシェルパ族では、イエティを妖精的な存在と解釈している部分もあり、類人猿というイメージと現状は程遠いと言えるが、例え熊であったとしても、単なるヒグマではなく、二足歩行や高度な知能を有した特殊な熊ではないだろうか。「単なる熊だからこれで解決とする!」と言うには、まだまだ早すぎると思えるのだ。
他にもUMAで存在を否定されるものも多数出ている。既述のネッシーやイエティのように部分的な否定ならまだしも、そのもの全体が否定されることがある。筆者が思うに、明らかに存在が否定された場合はUMAからその存在をはずしてもよいのではないだろうか。勿論、ファンタジーとしてそのUMAを楽しみ続けるのはよいが、さもありなんという書き方は否定されたUMAに関しては避けていくべきである。筆者も東京スポーツなど、UMAファンタジーを楽しむのが主旨の媒体では夢を壊さないコメントを心がけているが、シリアスな媒体の場合はなるべく現実的な論理展開を目指している。兎に角、UMAをファンタジーとして楽しむのも、学術的に知的な論争を楽しむのも、大人の遊びとして使い分けていきたい。
私がUMAからはずしてもよいのではと思うのは、まずは「かえる男」である。これは逃げ出したペットの爬虫類の誤認であるそもそも目撃者が完全に否定しているのであるから、フォークロアとしての考察はともかく、実在性の追及の対象から除外すべきであろう。また同じく米国のUMAである「羊男」も羊の仮面を被った人間の悪ふざけという判断が常識的ではないだろうか。また日本テレビの特命リサーチで指摘された小型の「スカイフィッシュ」も蝿(或いは羽虫)と断定し、除外すべきである。しかし、「スカイフィッシュ」の中には数mに及ぶ巨大なものや、スロー再生でもないのに映りこんでいる物体もある。全部が全部蝿と判断するには早いかもしれない。
兎に角、UMAは正体が明かされればその存在理由を失う。しかし、我々人類の目前には新しきUMAが続々と出現してくる。化かしあいに、騙しあい。UMAと人間のいたちごっこはエンドレスなのだ。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)
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