今や現代人にとってメール、インターネットは生活の一部である。
ネットにおける疑似社会は、恋愛、友情、情報交換、勉強、娯楽などあらゆるサービスを兼ね備え、リアルな社会との二重構造が完成している。
勿論、サイバー社会には、恐怖やオカルトも存在する。
「死人から届くメール」
「死人が話しかけてくるチャット」
「呪いが添付されたメール」などである。
酷い場合には「死者の書き込み」や「霊界からの伝言」も存在すると噂されている。我々、普通の人がみると判断できないのだが、霊能者が見ると死人の書き込みはわかるのだという。
つまり、既に自分が死亡している事もわからず、生きていた頃のように常連のサイトに書き込みしてしまうのだ。考えて見ると、ネットやメールの向こう側の友人が必ずしも存在するとは限らない。架空の存在、あるいは死者である可能性だってあるのだ。もうあらゆる恐怖がサイバー上にも展開されているのだ。
確かにサイトマスターの死後もそのまま放置されているサイトを希に見かけるが、あまりよい気分はしない。筆者も以前、常連のサイトが更新がとまり、不思議に思っていると、遺族の方から管理人が死亡した事が告知され、酷く驚いた事がある。
サイトそのものは、伝言板への書き込みやメール投稿、アクセスカウンターなどは動き続けており、生き続けているのだ。つまり、サイバー上における”死”と現実社会の死は必ずしも一致することはない。サイトマスターの死を知らぬユーザーから見れば、管理人は、ネット上では永遠に生きているという解釈になるのだ。
逆に”生”への認識も薄く、サイバー上に存在するキャラクター(人物)に、人間としてのリアリティを認識できない場合も多い。これは、バトルゲームにはまりすぎたために起こる暴力に対する現実感の喪失、ロールプレイングゲームによる生死の軽薄化も遠因としてあげられる。
ようするにサイバー上は、死者と生者の境目が明確でない。つまり、いまだ未成熟な社会であるため、異界の住民達も入りやすいというわけだ。言い換えれば、ネットは、黄泉の国との境界線上にある。
つまり、霊現象は最先端のメデイア(生死の境界があいまいなもの)に出現しやすく、人は、(黄泉の国につながる)先端技術そのものに恐怖を感じるというわけである。
今世紀に入ってから、ますますチェーンメールの本数が増えているという。単なる広告用のスパムメールなら問題ない。チェーンメールの場合は、複数の人間に転送しないと不幸になるという迷惑な内容なのだ。これはリアル時代に横行した「不幸の手紙」のネット版である。
その内容も千差万別である。
”四代目切り裂きジャック君”からのメールであったり、あの有名な”ホラーキャラ・貞子さん”からのメールであったり、”皿屋敷のお菊ちゃん”が、手首を切りにくるメールであったり、時には南方戦線に亡くなった”旧日本軍の亡霊”であったりするのだ。
こんな濃い連中が、(このメールを、○○日以内に○○人に転送しないとおまえのところに行く・或いはおまえは不幸になる)とメールで脅かしてくるのだ。気持ち悪いことこのうえない。しかも、どいつもこいつも怨霊だったり、殺人狂だったりするからどうも頂けない。
思い返すと映画「リング」の貞子は、ビデオテープを他人にダビングして見せれば助かる設定になっていた。つまり、ビデオ版「不幸の手紙」であった。
そうなると、リアル社会の不幸の連鎖「不幸の手紙」と、ネット社会の不幸の連鎖「チェーンメール」をつなぐのが、ビデオ版「不幸のビデオ」なのかもしれない。言い換えれば、手紙→ビデオ→メールと不幸の連鎖は、時代によって進化しているのだ。
このネット社会をぐるぐると廻る「チェーンメール」。この不快な妖怪が消えてなくなる日はいつかくるだろうか。そもそも、この「チェーンメール」の恐怖は、そのメールの中身にあるものではない。メールを流せば ”とりあえず自分は助かる”という利己的な現実社会にこそ”真の恐怖”が存在するのだ。世界をつなぐのは、”友情”と”支援”の輪であって欲しいと切に願う。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)