NHK大河ドラマ「真田丸」にも登場した吉野太夫。
吉野太夫は、京都の花街、島原の前身となる六条三筋町に実在した最高位の遊女。東の吉原の高尾太夫、西の吉野太夫と言われる程有名な名妓である。
なお、高尾太夫もそうだが「吉野太夫」は複数存在する。京都の太夫に代々伝わる名跡であり、安土桃山時代の初代吉野太夫から10代目まで存在したとされている。
初代吉野太夫も本阿弥光悦ら文化人と交流があった才色兼備の女性であるとされているが、一番詳細に記録が残っているのは二代目吉野太夫である。しかし、二代目吉野太夫本人は慶長11年生まれ、大阪冬の陣の時でも8歳なので時代が合わない事になる。そこで、初代も二代目も共に才色兼備で知られた女性であるために、初代と二代目の吉野太夫を掛けあわせて二代目よりの人物像にしたのではないかと思われる。
幼少の頃に林屋に禿として入り、14歳の頃には太夫になったという吉野太夫は美貌だけでなく諸芸の才能にも優れており、琴や琵琶といったあらゆる楽器を操り書道、茶道、華道、囲碁等様々な芸事を極めていたという。
その美貌は遠く明まで届くほどだったと言われ、馴染み客には当時の関白や豪商がいた。また、彼女自身は非常に慈悲深く情にあふれた人柄だったとも言われている。彼女に会いたい一心でなけなしの金子を握りしめ、店に向かうも門前払いされた男性を不憫に思い、密かに部屋に招いて思いを遂げさせたというエピソードが知られている。
吉野太夫は遊郭にいた頃から信仰心に厚く、日乾上人という日蓮宗の僧侶に帰依し法華経を信仰していたとされている。京都には彼女が寄進したという山門が残されており、鷹峯の常照寺に加え島原の蓮久寺にも赤い山門を寄進している。
大河ドラマで彼女を知り、興味が出た方は今も京都に残る吉野太夫ゆかりの寺に参詣してはいかがだろうか。
蓮久寺 公式サイト