江戸のゴーストバスターズ・祐天上人 【後編】

【前編】から続く

 また、増上寺には、怨霊退治以外にも功績が残されている。




 当時、江戸で最も恐れられたのが、火災であったのだが、増上寺の伽藍や本堂を護る為に、「増上寺消防制」を創設し、寺で学ぶ学生たちを、いろは四十八文字に分け、寺内における防火組織を設立したのだ。このシステムは、幕府によっても高く評価され、名奉行・大岡越前守忠相は、祐天が創ったこの制度を参考にして、「江戸の町火消し」を作り上げたと言われている。名僧・祐天は、火事と怨霊という江戸っ子が恐れた、二大災難を見事に封じたのである。

 享保3年(1718)増上寺の住職を退き、麻布に小さな庵をあんで暮らしていた祐天は、その82年に及ぶ波乱の生涯の幕を閉じた。

祐天上人の死去を聞いた八代将軍・徳川吉宗は「真の僧侶は、祐天ただ1人であるぞよ」とその功績を高く評価し、祐天上人の高弟であった祐海上人に「明顕山祐天寺」の寺号が授与され、現在の祐天寺が建立されたのだ。

 この目黒区中目黒に建立された大伽藍の寺は、江戸の裏鬼門を護る結界として、霊的には重要な位置を占めることになる。祐天上人を開基と仰ぎ、祐海上人自ら初代の住職に着任した同寺は、徳川将軍家ゆかりの寺として栄えていくことになる。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)





関連記事

最近の投稿

ページ上部へ戻る