東京の地名である祐天寺。今は洒落た街並みで人気を集めているが、この街が江戸期の名僧・祐天上人に由来する事は、あまり知られていない。祐天寺という寺名の由来となったこの稀代の名僧は、幕府から厚い信頼を寄せられる政治のブレーンであるのと同時に、江戸随一と言われたゴーストバスターズであった。
祐天上人は、寛永14年4月8日に陸奥国(現在の福島県いわき市辺り)において、新妻重政の子供として生まれた。この出産に関しても、不思議な伝説がある、子宝に恵まれなかった夫婦は、常に子供が欲しいと祈っていたのだが、祐天が生まれる時に母親は、月輪が庭の木の枝に降臨し、光る珠を授けられるという夢を見たのである。聖人の出生伝説にありがちな設定だが、彼の異能ぶりを象徴している。
幼い頃から、才気が漲り、12歳の時に仏門に入り、僧侶の道を歩み始める。地元では、今も残る「じゃんがら念仏踊り」を人々にひろめたことで広く知られている。(なお、祐天上人が、じゃんがら念仏踊りを広げたという説は確定されていない俗説であり、ほかにも諸説あり、判然としていない側面もある)
その後、僧侶であった叔父を頼り、江戸の増上寺で学び、世の無常を感じながら、50歳の時に、諸国を放浪した。正徳元年(1710)に、浄土宗総本山・増上寺の36世住職を務め、本来悪霊払いなどの浄霊をしないはずの浄土宗にもかかわらず、数々の怨霊事件を解決し、その憑依していた怨霊までも念仏の力で成仏させた異端の念仏僧であった。(無論、彼の悪霊退治のパフォーマンスが、念仏を人々に広げる宣伝材料となったことも否定できない)
例えば、こんな事件があった。ある家の娘が若くして死んだ。すると、その娘の幽霊が座敷の一角に出るようになった。家人たちは恐れ、おののき、高名な祐天上人に幽霊の浄化をお願いした。この話を聞いた上人は、弟子に言って、娘の幽霊が出る天井裏を調べさせた。すると、膨大な数の恋文が発見されたのだ。つまり、亡くなった娘の想いが込められた恋文があったため、幽霊が出現していたのだ。その後、恋文を焼却処分したところ、幽霊は現れることがなくなったという。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)