【山口敏太郎のオカルト的社会論その1】「乙武不倫問題」にみる障碍者差別と障碍者の聖人化 





世間の『乙武バッシング』が酷い。

ネットでは『五体不倫満足』『ゲスの極み乙武』など揶揄する声も多いが、本来不倫とはプライベートな問題であって、第三者がとやかく言うことではない。むしろ、成人君主と思われていた乙武くんが、普通のエロいオヤジだったという事は共感できる部分もある。

では今回なぜここまで問題になったかと言うと、乙武くんに出馬の噂があったからだ。政治家というゲスい職業には、エロスキャンダルはつき物だか政策論争をせず、足の引っ張り合いをしている現在の国会では、女性問題で脇の甘い新人議員は格好の餌食になるだろう。

ゆえに乙武くんに対する各政党の評価も有権者の言葉も厳しくなったのであろう。

そもそも我が国では障がい者=聖人というイメージがある。障がい者の人が頑張るドキュメントは、大きな感動を呼びパラリンピックは喝采を浴びている。だから障がい者は、人格的に素晴らしく品位のある人間だと一般的に思われてきた。

これは我々日本人が、片手・片足・隻眼の人々を神職にすえたり、知的障害や精神疾患のあるものを集落のシャーマンに選んだという民俗学的背景があるのかもしれない。

これは、日本人が古来から考えてきた障がい者の社会参加という民俗学的システムの一環であるが、実際の現状とは違う。

現実の障がい者は普通の人間である。性格が良い人もいれば悪い人もいる。また性的にストイックな人もいるしHな人もいる。

極論を言ってしまえば、障害者=聖なる人という前時代的先入観は障がい者への差別になるのではないのではないだろうか?

障がい者だってエロオヤジはいるし、下ネタだって話す。煩悩のある普通の人間なのだ。障がい者の中にある色と欲を客観的に認めてこそ、本当の意味で障がい者差別がなくなる平等な社会が作れるのではないだろうか?

乙武くんがぶっちゃけの下ネタオヤジキャラになって復活してくれるのを祈っている。

文:山口敏太郎





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