東京妖怪伝説 その6  最凶妖怪・七人ミサキは現実に実在する!!後編

前編から続く

因縁はまだ続く、昭和27年にその事件は起こった。

7人の坊主が最後に絶命した場所で、林道の工事をしていた。島にとっては久々の大規模な工事であり、島民や、島外の人も含め10数人の作業員が労働に従事していた。順調に作業は進んでいたが、そのうち島外の作業員が七人坊主の話を始めた。




「馬鹿馬鹿しい、そんなものは伝説にすぎない」、「昭和の時代にそんな事はない」というのだ。伝説に怯える島民の作業員たちは、「とにかく、祟りがあるからやめろ」と制止したが、島外部の作業員は伝説を馬鹿にし、まったく相手にしなかったという。

そして最後には、はやし立て始めたそうである。「やれ坊さん-♪ それ坊さん-♪」

すると突如土砂崩れが起きた。全ての現場が飲み込まれてしまった。そしてなんと、恐るべき事に、8人が生き埋めとなり、7人が死亡したのだ。「七人坊主」の祟りは存在する。人々は恐怖におののいた。

平成に入った今でも、「七人坊主」の目撃談がある。

フジテレビの人気番組「アンビリバボー」の調査によると、例の土砂崩れがあった現場付近では緑色の衣を身につけた坊主が度々目撃されている。なんと緑色の衣とは当時絶命した「7人坊主」の法衣だと伝えられている。或いは「7人坊主」は、子供を連れているとも言われる。

これに関しても非常に興味深いことがある。子供とは坊主達が使った護法童子ではないだろうか。密教系の呪術を使う坊主は、陰陽道でいうところの式神に誓い存在として、護法童子を使役するのだ。

祟りはこれで終わらない。




95年8月、七人坊主を彷彿させる事件が起こった。島での火葬場の骨の消却炉の中から、身元不明の古い一度焼却された7つ遺骨体が発見されたのだ。またしても「7人坊主」が動き出したのか、人々は騒然となった。火葬場には厳重に鍵がかけられていた。つまり密室である。

(誰がどうやって7人分の遺骨を運び込めたのだろうか)(どんな方法で、犯人は火葬場に侵入したのか)

まずそれが不明であった。またこの骨の出所も不明であった。どこから持ってきたのであろうか。古い骨のようであるが、墓が荒らされたという形跡は島にはなかった。

だとしたら、島の外からわざわざ7人分の骨を持ち込んだというのか。この密室に、7人分の骨が放置されるという事件は謎のままである。筆者は思うのだが、ある意味、「七人坊主」の祟りの力を使った呪術ではないだろうか。

21世紀に入っても「7人坊主」を連想させる事件が発生している。

2001年2月1日に八丈島近海で漁船の遭難事件が発生した。大分県津久見市保戸島漁協所属のマグロはえなわ漁船「第二鵬正(ほうせい)丸」=19・96トン(宮本昭彦船長(56)ら7人乗り組み)八丈島の東沖で遭難し、行方不明となっているのだ。

偶然かもしれないが、元々「7人坊主」は船で八丈島にやってきたものである。奴らが海で暴れたとしても不思議ではない。いやひょっとしたら、火葬場で完全復活した「7人坊主」は漁船を襲い、八丈島を脱出し、大阪に帰還したのかもしれない。

(ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)





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