(証言者 匿名希望 東京都生まれ 西多摩在住 男性 70代 現場・西多摩)
これは筆者が西多摩で聞き取り調査を行っていた際に、地元に住む複数の住民から聞いた話である。いずれも怒りに震えながら郷土を汚した犯人を罵倒し、犠牲者に目を潤ませた。
”小峰峠に幽霊が出る”
こんな噂が、多摩一帯で囁かれたのは、昭和63年の事である。
八王子から五日市に抜ける秋川街道を走っていると、小峰峠という峠に至る。昼なお暗き、この峠に女の子の幽霊が出ると評判になったのだ。
何人かの目撃者によると、女の子の幽霊は必ず黄色の帽子を被ってうつむいているらしい。何故か暗闇でも女の子の姿は鮮明で、繰り返されるカーブの度に女の子は姿を現した。
ある目撃者によると、手首から先が無い手を車にむけて振ったり、トンネルの中では「助けて 助けて」という女の子の悲しげな声が聞こえたという。
またある目撃者によると、トンネルの上から青白い女の子の手や足が、だら~んと何本かぶらさがっている事もあったという。
現地での騒ぎは大きくなり、昭和63年10月2日についに地元あきる野市の新聞が報道するに至ってしまった。こうなるともう噂はとまらない。
多摩だけではなく、関東いや日本中から見物客が押し寄せる心霊スポットになってしまったのだ。
そして、あの事件が起きる。
宮崎勤の連続幼女殺害事件である。宮崎は昭和63年から平成元年にかけて4人の女の子を殺害している。そして、4人目の犠牲者の女の子を殺害、バラバラに切断した上、この小峰トンネルの山頂に遺棄した。
つまり、地元多摩で評判となった「黄色い帽子の女の子」は、宮崎勤の犠牲者の霊であった可能性が高い。また、そうなると、女の子の幽霊の手首から先が無いのは、手首から先は宮崎勤が口に入れてしまったからである。
更に恐怖の連鎖は続く。
地元の新聞紙に、”この女の子の幽霊騒動を掲載した記者”は、皮肉なことに宮崎勤の父親であった。
(聞き取り 山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)