王子稲荷が東京の最強心霊スポットである。
昭和の頃まで狐火が出たし、実際に祟り事件も多かった。逆にお参りすると効果があり、受験や恋に関する願望をかなえてくれる最強の神社なのだ。
お岩稲荷、将門の首塚よりもこの王子稲荷こそ最も崇拝されるべき不思議なエリアだ。
王子稲荷と言えば、知らぬ者はいないぐらいに東京では有名だ。
元享2年(1322)に、地元の豪族・豊島氏が王子権現の分社を勧請し、この辺りが王子という地名になった事から、王子稲荷と次第に呼ばれるようになったという。
この王子稲荷が祟ったということはあまり知られていない。
実は明治の頃まで王子稲荷は、狐狸(こり)が跋扈(ばっこ)し人々を脅かし、将門の首塚やお岩稲荷と並ぶぐらいの怨霊スポットであったのだ。
「日本怪奇集成」(富岡直方)には、王子の狐狸に関するこんな怪異談が語られている。
明治39年に砲兵工廠(コウショウ)の一部が、王子の滝ノ川村に移転することになった。その時、敷地に稲荷があったので、それを打ち壊し工場を建てようとした。
すると責任者である少佐の妻の夢枕に狐が現れた。
「家を壊された恨みは深いぞ。おまえの一族を一人残さず殺してやる」
と狐は幾晩も繰り返した。
そのあとすぐ、少佐の子供が二人立て続けに死んだ。
これはいかんと思った少佐は新しい祠を建て、狐を供養したという。だが、翌年また異常な出来事が起こった。
少佐の夢枕に狸が出てきた。
「我は滝ノ川村にすむ5匹の古狸のひとりである。狐には祠を建てておいて、我らを侮り、老友3匹を殺害するとはどういうことなのか」
この夢に驚いた少佐だったが、事態はすぐさま深刻化する。
工場に石の雨が降り、大入道や三つ目小僧などが出るようになったのだ。このままでは操業できないと感じた少佐は、至急部下たちを調べた。
すると4、5人の者が鉄管の中で寝ていた狸3匹を殺していた。
なお現在の王子稲荷には、狐の穴と呼ばれる穴があり、往時の化け狐たちを偲ぶことができるが、この王子稲荷を有名にしたのは、名人と呼ばれた落語家林家小さんであった。
小さんの十八番に「王子の狐」という話がある。扇屋というお店を舞台に狐が暴れる、江戸風情のある話である。
この扇屋は今も現存している。今は扇屋ビルという立派なビルになっているのだが、ある年の年末には山口敏太郎事務所でこのビルにある飲み屋で打ち上げをした。
したたかに呑んだものだったが、ついぞ化け狐は現れなかった。
(山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)