皆さんは死後の世界というものにどのような見解をお持ちでしょうか。かつて私は死後の世界とも思える不思議な世界に迷い込んだ事があります。その体験に関してお話ししたいと思います。
私は学校を卒業し、某企業に就職しました。就職してから3ケ月程たったころでしょうか。元気だった郷里の祖母が突然亡くなりました。関東にいた私は当然祖母の死に目にも会えず大変残念な思いをしました。葬儀を終えそして49日を終えた私は、かわいがってくれた祖母の事を思い出していました。『ばあちゃんに逢いたいなあ』、初孫で随分甘やかしてくれたやさしい祖母。ぼんやりとそんな事を思い出していた時の事です。
突如地震のような縦揺れが私を襲ったのです。おかしいぞ肉体は揺れてないぞ。肉体以外の自分が揺れている。私は身構えました。するとどうでしょう。寝ている私の枕もとで澄んだ声が聞こえてきたのです。
(死んだばあちゃんに逢わせてやるからここを掴みなさい)
その声はそう言うと、三角形のわたのようなものを私に掴ませたのです。私がぎゅっと握ったその瞬間です。
『引っこ抜かれる』、そんな感じで私は上空に思いっきり引っぱられていきました。どのくらい上昇したでしょうか。ふと下を見ると眼下には厚い雲の間から南海のジャングルのような一面の緑の大地が広がっていました。深くて静かでマングローブの森といったところでしょうか。『こっ、これは』、驚く私を尻目にその声はこう言いました。
(ここから飛べ、飛ぶんだ)
私が躊躇していると、はじかれるように私は放り投げられていました。私は思わず目をつぶりました。はっ、と気がつくと次の瞬間、私は帆のない船の上に立っていました。東南アジア使用されている台船のような船です。その船はゆっくりとジャングルの中の川を眠るように流れていきます。まるでそこには時間の流れないような不思議な空間でした。
そしてどうやらその船はエンジンではなく人力で動いているみたいです。船の後方で髪の長い女がゆっくりと大きくオールを漕いでいるのです。そして船の進行方向右側にはつりの本を読みながら釣糸をたれる老人。そして左側には亡くなった私の祖母がちょこんと座っていたのです。
『ばあちゃん、どないしたん』私は思わず駆けよりました。そして一方的に死に目に間に合わなかった事や、東京にでてからあまり顔を出さなかった事を詫びました。すると祖母は、ぽつりとこう言いました。
「おまえは、ほんまにしゃない奴やなあ」
私はたまらなくなり祖母に何か言おうとしましたが、まるでさえぎるかのようにあの声が聞こえてきたのです。
(時間がないですよ。早くつかまりなさい)
私はしぶしぶ、三角形のわたのようなものをまたしてもつかまされると、びゅーとと引き上げられたのです。ぐんぐん上昇し、眼下の緑の大地が小さくなっていきます。『ばあちゃん』、私は下を見ましたが祖母の姿はもう見えません。そして霧が晴れるといつのまにか私は自分の住んでいるマンションの上空までやってきていました。
『帰ってきたんだ』、私はわたから手を離し、自発的にポーンと飛び降りました。しかしながら、目測を誤ったらしく降りたところはマンション前の道路のアスファルトの上でした。目の前に青いアスファルトが迫った事を今でも覚えています。着地に失敗したと思った私は再び飛び上がる(どういうわけか、かなりジャンプ力があったのです)と、ズドーンと自分の部屋の布団に飛び込みました。
私の不思議な旅は終わりました。しかし、20年近く経った今でもあの日の事ははっきりと覚えています。
私の見てきたあの世界は一体なんだったんでしょうか。俗に言う幽界というものなのでしょうか。私の願望が具現化した夢の中の世界だったのでしょうか。それとも私達の住む世界とはまったく異なる異次元の空間だったのでしょうか。それに私をその世界に誘ったあの声、あの声の主は一体何者なんでしょうか。守護霊、先祖霊、あるいはもうひとりの深層心理の中の自分なのでしょうか。
考えれば考える程、謎が深まる一方です。ひとつだけ言える事は幽体離脱をした時に見た、天井の染みと、アスファルトの青さは、色、質感共にまったくの本物でした。そして今では祖母と逢えたあの川が”三途の川”だったのではと思えてならないのです。
(聞き取り&構成 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)