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「広島東洋カープ」 12球団中『唯一』のもの!カープ坊やにはモデルが?

広島東洋カープは、日本のセ・リーグに所属するプロ野球球団の一つである。1950年に市民球団として創立され、73年にチームカラーとして赤が取り入れられて以来、通称「赤ヘル軍団」と呼ばれ親しまれている。

カープは、日本の12球団の中では唯一親会社を持っておらず、現マツダの創業者である松田一族が代々オーナーを受け継いでいるという珍しい球団となっている。もう一つ、カープが持つ12球団中唯一と言われる特徴は、「カープ」というチーム名だ。

思い返して欲しいのだが、「読売ジャイアンツ」「ヤクルトスワローズ」「西武ライオンズ」「阪神タイガース」など、他の球団名はすべて「-s」という複数形で終わっているにもかかわらず、カープだけそうなってはいない。

これは、「carp」は単数形であろうと複数形であろうと「carp」のままであることに由来しており、英語では基本的に群れで行動するものがこうした”単複同形名詞”となることに起因している。

実は、球団創立当初は「カープス」(Carps)だったのだが、誤りだということで「カープ」に修正されたという逸話があるという。因みに、カープ(鯉)が名称に起用されたのは、鯉が出世魚であるということや、広島城が鯉城(りじょう)と呼ばれていたことに由来している。

カープの持つ”唯一”はまだある。

バットを構えた姿でロゴマークにも載っているマスコットキャラクター「カープ坊や」をご存じだろう。90年代から登場した着ぐるみのマスコット「スラィリー」とともにカープを象徴するマスコットとなっているが、もともと80~90年代はこのような子供のキャラをマスコットに用いていた球団が多く存在していたが、現在カープ坊やはその唯一の生き残りとなっているというわけだ。

ところで、このカープ坊やにはモデルがいると言われている。

そもそも、このカープ坊やが誕生したのは1975年。当時のカープ監督であったジョー・ルーツが、それまで選手たちが個別に持参していた野球道具を、ひとまとめに車で運ぼうと球団に要望した。この野球用具輸送用の車にペットマークを用いるアイデアが提案し、その公募によって選ばれたのがカープ坊やだった。デザインしたのは、イラストレーターのガリバー岡崎(岡崎福雄)。

このカープ坊やについては、カープファンの子供がモデルだったなど言われていたものの、特にモデルは無いと言われていた。しかし、近年になって有馬和哉という人物がモデルだったと言われるようになった。

有馬当人によると、旅行会社に勤めていた父親がカープ観戦ツアーを担当していた関係で、たびたびカープ球団と打合せをすることがあり、当時まだ幼かった彼がよく父親に連れられて出入りしていたという。

彼は、1973年に古葉竹識監督とツーショットで記念撮影をしたこともあり、75年のカープ優勝時には子供サイズのカープユニホームを特注で作ってもらい愛着していたという。カープ坊やが誕生したのは、その優勝した年のシーズン中だった。

因みに、有馬自身は自分がカープ坊やのモデルになったことを当時の松田耕平オーナーから聞かされて知ったそうだ。

【参考記事・文献】
https://yakyuburo.com/kyuudan-mascot/carp-bo-ya.html#i-2
https://www.daily.co.jp/baseball/carp/2020/10/06/0013760409.shtml
https://english-kanazawa.com/grammar-2/singular_plural/carp-carps/
https://www.travel.co.jp/guide/article/38295/

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【文 ナオキ・コムロ】

画像 ウィキペディアより引用