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【政治都市伝説】田中眞紀子 学生時代はプロを目指していた舞台女優?!

田中眞紀子は、第64・65代内閣総理大臣の田中角栄を父に持つ女性政治家。

2001年の小泉純一郎首相誕生に伴い、女性で初めて外務大臣に就任したことで知られる。

制御不能と言われるほどに放言が多く、特に小渕恵三元首相が急逝した際には、「オブチさんがオダブツさんになった」という通称「お陀仏発言」が発端となり、外務大臣に就任した翌年の1月に更迭されたことはあまりにも有名だ。

子供の頃から声が大きく活発であり、父親と議論をするのが好きだったという。角栄の生前は、留学経験を生かしてファーストレディーのような役目を果たしていたが、一方では高校時代にアメリカの私立高への語学留学を父に反対されるも独断で渡米、また反対を押し切って夫・田中直紀(鈴木直紀)と結婚するといった図太さを備えている。

実は、早稲田大学を卒業した1968年から結婚するまでの1969年までの約1年間は、舞台女優として活躍していた。もともと、大学時代に演劇サークルである「こだま」(現・劇団木霊)に入り、2年生の時に「焼けたトタン屋根の上の猫」で大隈講堂の舞台に立った。この劇団での同期には、久米宏や長塚京三、村野武範がいたという。

当時は真剣にプロの女優を目指していたようであり、在学中に劇団「雲」研究所(現・劇団「昴」)の試験を受け、およそ50倍の競争率を勝ち抜いて研究生となり、結婚するまで約1年所属していた。なお、研究生になったことは角栄に事後報告し、案の定激怒されたという。

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【文 イトフゆ】

画像 ウィキペディアより引用