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アクションドラマ「キイハンター」 視聴率30%超えの大人気番組が終了した理由

『キイハンター』は、1968年から1973年まで放送されていた日本のアクションドラマであり、大都市東京を舞台に、警察では手に負えない事件を解決し、日本の平和を脅かす悪の組織や勢力の陰謀を阻止すべく戦う、6人の諜報員「キイハンター」たちの活躍を描いたテレビ映画である。

メインキャストとなるキイハンターは、丹波哲郎、野際陽子、川口浩、谷隼人、大川栄子、千葉真一という顔ぶれとなっている。

ハードボイルドなストーリーにアクション・スタント、そして国際色豊かなスケールの壮大さが話題となり、最盛期の視聴率は30%を超えるほどだったという。

千葉によるアクション・スタントの代表作としても本作が上げられている。因みに、本作ののちに同枠で放送された『Gメン’75』は、プロデューサー以下・製作スタッフが「キイハンター」とほぼ同じである。

本作は、当初1年ほどの放送予定であったものの、あまりの反響により延長された。しかし、その出だしには一悶着があったようだ。

本作には、構成スタッフの一人として、『仁義なき戦い』シリーズや後年の『バトル・ロワイアル』でも著名な深作欣二がいた。「キイハンター」の第1話において深作は演出を担当していたのだが、この1本目だけで2ヶ月に渡って撮影を行なっていた。

深作は、これまでにないアクション映画を作ろうと熱を入れており、プロデューサーから「早くあげてくれ」と泣きつかれてもお構いなしだったという。

千葉と深作は、『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』(1961)にて初主演・初監督をそれぞれつとめた関係にあり、この2人によって本作の全体の方向性が決定づけられたという。千葉によれば、「手錠のまま脱走して線路を通過する汽車で切断される」といったような洋画のシーンを深作に話すと、「いいよ、どんどんやれ!」と乗り気な反応をしていたそうだ。

千葉は、本作の方向性を決定づけた一人であったが、実は人気絶頂だった本作の終了を迎える要因となったのも彼であった。

5年も続いた本作であるが、千葉は”イメージの固定”という懸念を抱くようになっていった。そのため、彼は丹波に降板を申し入れることにし、結果として了承を得ることとなった。だが、それと同時に丹波が「千葉がいないならキイハイターは成立しない」としたことで、番組自体の終了へとつながった。

因みに、「キイハンター」のメインテーマ『非情のライセンス』が、盗用ではないかと騒動になったことがある。「週刊TVガイド」1968年4月26日号によると、本作のメインテーマが全く別のテレビドラマ『追いつめる』のメインテーマとメロディが酷似しているということから起こったものであるようだ。

「追いつめる」は、小説家・生島治郎原作のテレビドラマであり、1989年までに第3作まで制作されている。第1作となる1968年では全7話放送されていたのだが、この放送終了直前にスタートしたのが「キイハンター」だった(両者はそれぞれ東宝・東映と制作も異なっている)。

キイハンターのメインテーマおよび音楽を担当したのは、「ドラえもん」「仮面ライダー」「ドラゴンボール」「暴れん坊将軍」「スチュワーデス物語」など数多くの音楽を手掛けた菊池俊輔であったが、当人は、「改めて聴くとあまりにも似ていて自分でも驚いた」との旨をコメント。

また、「追いつめる」の音楽を担当した大森盛太郎も「悪意や他意の無い偶然の一致」とコメントしたことで、この騒動は一応の決着を見たようである。

【参考記事・文献】
https://www.asagei.com/9361
https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%AD%E3%82%A4%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC
https://www.weblio.jp/content/%E8%BF%BD%E3%81%84%E3%81%A4%E3%82%81%E3%82%8B

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【文 ZENMAI】

画像『キイハンター BEST SELECTION DVD COLLECTION