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「伊東四朗」伝説 芸能界入り前の就活全滅は顔が原因?!小松政夫との幻のコンビ名

伊東四朗は、テレビ司会や俳優などでも活躍する日本のコメディアンである。

1960年代から70年代にかけてはお笑いグループ「てんぷくトリオ」のメンバーとしても活躍し、また小松政夫との共演において爆発的な人気を獲得した。『伊東家の食卓』、『IQサプリ』などといったバラエティ番組をはじめ、大河ドラマなどの出演でも知られる。

幼い頃、歌舞伎好きの父親や喜劇役者志望の兄(5人兄弟の長男)の影響もあって、現代劇や映画といったものを観て育った。特に森繁久彌の大ファンでもあり、森繁の映画を観る時は、一度目に歌の歌詞をノートにとり、二度目にメロディーを覚えるという入れ込みようであった。のちに森繁本人に会って歌を披露した際には、森繁自身が覚えていなかったというエピソードもある。

だが、伊東はそのまま芸能界入りを目指そうとすることはなく、サラリーマンになろうと考えていた。ところが、高校卒業後の就職活動はことごとく落ち、完全コネであった会社ですら不採用になってしまったという。

伊東によると、筆記試験は通るが面接で確実に落ちてしまうということだったようであり、当人曰く「面接向きの顔じゃないのかな」と思ったようである。

そうしてアルバイト生活を送る中で、仕事をしながら観劇三昧の日々を送り、時には裏方のふりをしてタダ見をしたこともあったという。そうした中で、役者や劇団関係者に顔を覚えられるようになり、ついには、喜劇役者の石井均から新劇団の旗揚げの際に誘われ、これがきっかけで芸能の世界に本格的に足を踏み入れることとなった。

その後60年代のトリオブームにおいて、伊東は三波伸介や戸塚睦夫らとで結成した「てんぷくトリオ」で一躍人気となり、76年放送開始の『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』での小松政夫との掛け合いによってさらにその人気を不動のものとした。

あまりにも二人揃っての印象が強いのだが、伊東と小松は実際のところコンビという関係ではなく、あくまで共演者であった。しかし、一度だけコンビ名を考えていたことはあったようで、その際に出た案は、小松の持つギャグである「上手だね上手だね」に倣った「オジョーズ」(または「お!ジョーズ」)というものだったという。この名前案は、サメ映画のジョーズにも掛かっていたとのこと。

そんな伊東四朗は、非常に優れた記憶力の持ち主としても知られている。当人いわく、役者としてセリフが覚えられなくなってしまってはいけない、だから自分で課題を見つけて毎日ぶつぶつつぶやきながら記憶する習慣をつけている、とのこと。

だが、その記憶量は凄まじく、百人一首、日本の旧国名、世界の国の名前、米国の州名、メジャーリーグやJリーグのチーム名、近代オリンピックの開催年と開催都市、歴代天皇などきわめて膨大なものとなっている。円周率も1,000桁記憶しているのだとか。

このような、「脳トレ」とも言えるルーティーンは現実に絶大な効力を発揮しており、現在90歳目前の年齢に達してもなお長台詞も難なくこなすことができているという。しかも、ある舞台では長台詞を”忘れた”フリをして共演者たちを慌てさせ、観客を笑わせるという妙技まで披露したこともある。

【参考記事・文献】
https://jisin.jp/entertainment/interview/1956460/
https://gendai.media/articles/-/130827
https://www.theatrum-mundi.net/geinin/itoushirou.shtml
・https://jisin.jp/entertainment/interview/2166409/

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【文 黒蠍けいすけ】

画像『この顔で悪いか (SHUEISHA実用書編集)