緒方洪庵は、江戸後期に活躍した医師・蘭学者である。日本の近代医学の祖と称されており、当時恐れられていた天然痘の治療や予防に努め、予防接種という方法を西洋から取り入れ日本に普及させるなど、日本の医学の発展に大きく貢献した。
多くの功績を残す人物であることから様々な作品の題材にもなり、手塚治虫の『陽だまりの樹』や村上もとかの『JIN-仁』などにも登場している。
彼の開いた蘭学を学ぶ適塾は、およそ25年の間に3000人もの入門者がいたと言われており、その中には、橋本佐内、大村益次郎、福沢諭吉など、後世になお残すような者も少なくなかった。前述した、手塚の『陽だまりの樹』に登場する主人公・手塚良庵(良仙)は彼の実在の曽祖父であり、実際に洪庵の門人であったという。
この適塾は、のちの大阪大学の前身にもなり、近年では大阪大学などの研究チームにより、洪庵の残した「開かずの薬瓶」が素粒子を利用した分析装置によって、破壊することなく未開封のまま中身を特定されたことも話題となっていた。これは、当時の治療戦略を知る上で貴重な”医療文化財”と称されている。
1810年に備中(岡山県)に生まれた彼は、10代半ばで足守藩の大坂蔵屋敷の留守居役となった父と共に大坂へ出た。その頃、蘭学者・中天游(なかてんゆう)の私塾である思々斎塾に入門し、ここで医学を熱心に学ぶようになった。
洪庵は、塾にある書物を全て読破するほか、その合間にオランダ語も学び、その驚異的な吸収力と学力については他の塾生はおろか師である天游も舌を巻いたという。
のちに彼が開いた適塾においても、塾生の誰もが彼の学力に適わなかったと言われる。天游の亡き後は塾生たちに頼まれて自ら講義をし、新体制が整った後は蘭学のメッカである長崎へ向かうこととなった。
蘭学・医学を学ぶ地として腰を落ち着かせることができたかと思いきや、大坂で大塩平八郎の乱が起こり、武力蜂起によって大坂の街は大きな被害を受けることとなってしまった。これを知った洪庵は、かつて自分を育ててくれた大坂に恩を返さねばならないという一心により、同地に開業医として看板を掲げ瞬く間に評判となっていった。
さて、塾の先生でもあった洪庵であるが、彼は非常に温厚で怒声をあげるといったことは全くなかったという。だが、一方でその教育と指導はきわめて厳格なものであり、「血尿が出るほどに厳しい」という逸話が残るほどであったとのこと。
塾は30人が30畳の部屋に住み、5日おきの会読の成績によって良い席を与えられ、また学力により8つの学級に分けられたという、きわめて合理的な体制が設けられていた。
基本は先輩が後輩に教えるという学習制度であり、洪庵が直接講義を行なうのは塾頭や最上級生のみであったという。一方で、学習態度や成績が悪い者は問答無用で辞めさせており、また前述の通り怒るようなことはなかったものの、叱責の際も笑顔であり「先生の微笑んだ顔が一番怖い」とまで言われていたほどであったという。
この徹底した学習体制や態度も、彼の強い信念に裏付けられたものであったことに違いはない。この当時は、西洋医学に対する不信感もまだまだ強く、彼が普及に努めた牛痘種痘法による天然痘予防についても、「牛痘を使うと牛になる」といった迷信・流言も広まったこともあり、その苦労は並のものではなかった。
西洋の医学書を元に6日で書き上げた治療手引書を、医師らにおよそ100冊を無料配布したこともあったそうだ。
しかし、そんな彼を突如として悲劇が襲う。彼はその優秀さから、幕府より将軍家の奥医師、すなわち将軍家の専属医に就くようにとの通達が送られてきた。
医師としてトップの地位にも等しいものであるが、彼は愛した大坂の地を去ることに抵抗を感じつつも、頼まれれば断れない性格もあって江戸へ赴くこととなった。
だが1863年、彼は突然血を吐いて倒れ、そのまま亡くなった。彼の死は、激務による心身の衰えと、あまりにも堅苦しい環境下でのストレスが原因であったと言われている。
突然の死であったために遺言は残されていないが、彼の生涯一貫した医学への思い、生前の口癖であったという「道のため人のため」の言葉に、そのすべてが込められていると言えるだろう。
すべては、自身が8歳の頃に天然痘に罹り一命を取り留めたことから始まっており、自分のようなつらい思いを誰にも味わって欲しくないという彼の願いに基づいていたのだ。
【参考記事・文献】
幕末の名医・緒方洪庵~ずば抜けた学力の持ち主だった適塾の創設者
https://rekishikaido.php.co.jp/detail/7961
緒方洪庵が残した「開かずの薬瓶」、ミュー粒子で中身を特定 阪大など
https://scienceportal.jst.go.jp/newsflash/20210406_n01/
適塾を開いて優れた人材を育成した「緒方洪庵」
https://study-z.net/100038840/2#h211
「天然痘」予防の普及に迷信と戦った医師・緒方洪庵
https://kusanomido.com/study/history/japan/edo/30472/
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【文 ナオキ・コムロ】
画像 ウィキペディアより引用