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日本陸軍の祖「大村益次郎」暗殺の実行犯は誰なのか

大村益次郎は、幕末に活躍した長州藩士である。幼い頃から非常に優秀かつ勤勉でありペリー来航後には医学や蘭学を教える立場にもなっていったが、1858年に桂小五郎と出会って以後は軍制改革にも携わっていくようになり、近代日本の軍制建設を指導する重要な役割を担っていった。

長州征伐や戊辰戦争などでは最新兵器を用いて戦術を立てたことで長州藩の勝利を勝ち取っていき、こうした行ないから明治維新の立役者、十傑の一人として称えられている。また、日本陸軍の基礎を築いた人物として、国軍の父と称された山縣有朋によって、靖国神社に彼の銅像が設置されている。

1869年9月4日、新政府の兵部省初代大輔(次官)に就任して間もない頃、彼は京都の木屋町通り東側にあった宿所で刺客に斬られて傷を負い、それがもととなって同年の11月5日に大阪の病院で息を引き取ったという。この出来事は、彼が大坂城内、天保山の軍事基地を検分に赴いたその翌日の夕方に発生したものであり、会食していた萩藩士静間彦太郎および加賀藩士安達幸之助の二人も襲われ両者はその場で死亡したという。

この暗殺は、元長州藩であった神代直人など計8人による強襲であった。この頃は、不平士族の反感が高まっていたことで、政治家などといった要人に対する襲撃や暗殺が多数起こっていた時代でもあり、大村もそのうちの一人として犠牲になったものとなってしまった。

彼は、不愛想で合理主義者であったが、それがもととなってか反感を買うことも少なくなかった。地元では、医師をしながらもその手術の手際がよくないということで医師としてはかなり不評であったようだ。

また、手紙の時節挨拶に対しても「夏は暑いのが当たり前です」といったあまりにそっけない返しをしたこともたびたびあったという。優秀でありながらその人柄に対する反発が強まったことが、彼が命を狙われるに至った動機になっているのではないかとも言われている。

さて、彼の暗殺について実行犯はすでに判明していたものの、それを扇動した黒幕がいたのではないかと言われている。その最大の候補として名前が上げられているのが海江田信義である。海江田(有村俊斎)は、薩摩藩の政治家であった人物であり、のちには奈良県知事も務めた経歴も持っていた。

だが、当時から評価が良かったとはお世辞にも言えないようであり、寺子屋騒動では西郷隆盛を命令違反で下関から京都大阪に向かって志士たちを煽っていると勘違いし島津久光に報告、西郷は島流しとなって一時的な失脚ということになってしまった。

1862年に発生した生麦事件にて、イギリス人チャーリズ・リチャードソンに止めを刺した人物としても知られ、これによって勃発した薩英戦争では、率先して戦闘に参加していたという。

大村と海江田は、戊辰戦争の一つである上の戦争へ共に参加しているが、非常に仲が悪かったと言われている。特に海江田の悔恨はすさまじく、大村との論戦に敗れて「君は戦を知らぬ」などと侮辱的な言葉を浴びせられたこともあり、「殺してやりたい」と周囲に漏らしていたほどであったという。

また、海江田が大村暗殺の主謀者(黒幕)と噂された理由は、その後の言動にも表れている。大村暗殺の実行犯たちが処刑される予定だった際、彼は「犯人たちは国家のために大村を誅した」といって中止に追い込むなど、結果的に処刑は行なわれるものの弾正台(当時の警察機関)と兵部省との間でトラブルも巻き起こしていたという。

これらの事情から、大村をひどく恨んでいた海江田が、不平士族たちを扇動して暗殺させたのではないかと言われている。さらに、先にもあげた実行犯の神代直人とは、知人であったことを海江田本人も認めていた。

とはいえ、直接関与した証拠もなく、実際に何かしらの処分を海江田が受けたということもなかったため、大村暗殺の黒幕が彼であったという話は噂のレベルとしか言えないままとなっている。

ただ、木戸孝允は海江田こそ暗殺の黒幕ではないかと当時から疑っていたとされており、彼が政治家の槇村正直へあてた手紙では、海江田を要注意人物とし、「自分の非を認めず余計に大村を怨み、たびたび悪だくみを企てている」と記していたという。

大村は、最後の時まで不平士族の内乱が発生した時の対策を思案していたと言われ、臨終の際には「西国から敵が来るから四斤砲をたくさんこしらえろ」などと仲間に託していたという。その後、彼の予見通り西にて西南戦争が勃発し、反乱が相次ぐようになっていった。

非常に優れた才を持ちながら、その性格や発言によって多大な恨みを買ってしまったことが、彼の暗殺につながってしまったのだろうか。

【参考記事・文献】
大村益次郎暗殺の実行犯はだれ?黒幕の噂もご紹介します
https://usefultopic.com/archives/5588.html
明治二年九月に大村益次郎の命が狙われた経緯
https://shibayan1954.com/history/meiji/assassination-meiji-1/omura-masujiro/#toc4
大村益次郎とは?子孫や靖国神社に銅像がある理由、暗殺について解説!
https://history-men.com/omura-masujiro/
大村益次郎最後の地碑が豪華な理由と暗殺事件の経緯とは?
https://sengoku-his.com/1429
海江田信義(有村俊斎)の生涯と最期!生麦事件・薩英戦争の主謀者?
https://rekishiru.site/archives/1505

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【文 ナオキ・コムロ】

画像 ウィキペディアより引用