石塔磨きとは、汚れている墓石や石塔がいつの間にか綺麗に磨かれているという現象・怪異である。江戸時代には、赤坂、芝、浅草などの各寺で発生していたと言われており、また東北、東海、四国などにおいても起こっていたことが各所の随筆にて記されている。
『名陽見聞図会』によると、1832年2月1日、就梅院(愛知県名古屋市千種区の寺院)の石塔が磨かれ、しかも朱書きまで入れられるという事件が起こった。名古屋城下のあちこちの寺でも同様のことが起こり、キリシタンや妖狐の仕業ではないかとの流言も飛び交うなど、周辺は大パニックとなった。そうしていつしか、石塔磨きという妖怪の仕業へと変貌していったそうだ。
この騒ぎに武士の大谷万作がとある住職へ聞き込みをすると、なんと3年前に同様の出来事を住職が体験していたのがわかった。とある日の夜中、住職がふと目を覚ますと、真っ黒な髭に大きな耳のついたイタチのような姿の旅の僧が墓所に入って来た。その存在は墓を長い舌で舐めまわして磨き、呪文を唱えると家名の部分が朱色に変わった。その旅の僧の正体も、その墓を磨いた理由も何もわからない。
『藤岡屋日記』では、1827年の9月麻布谷町の英昌寺で墓地に何者かが忍び込み1基の石塔がピカピカに磨かれているという事件があり、7~8基にもその痕跡が見られたという。以後、石塔がいつの間にか磨かれるという事態は280基にも及び、しかも古くて消えかかっている刻印の文字に朱色や墨が加えられていた。
噂は大きく広まり、寺社奉公の厳戒態勢で真相究明が図られたものの、石を磨く音を聞いたという報告以上の究明には至らなかった。次第に町では、妖怪の仕業ではないかとの噂で持ちきりになったそうだが、徐々に石塔磨きとその騒ぎは終息していった。
この『藤岡屋日記』では、それがなんらかの心願成就のために行なわれていたのではないかとする説が唱えられている。『兎園小説拾遺』によると、ある癩病の男が夜の寺院に忍び込んで石塔を磨いていたということが記されており、その男いわく「古い石塔を誰にも知られず1000本磨けば病気が治る」などと教えられたために実行したという顛末が記されている。これが事実であれば、そうした俗信が各地で流行した上に実行されていたと解釈できる。
見ず知らずの人の墓を願いを叶えるためのアイテムを見なして行なうことはそれはそれで少々下衆のようにも思えるが、ある意味では墓の整備を「まじない」に乗じてやってもらうという作為的な噂の拡散もあったのかもしれない。江戸時代に発生した、何とも奇妙な騒動である。
【参考記事・文献】
第58話 石塔磨きの怪異
http://motokiyama.art.coocan.jp/nagai4/nagai4-58.html
愛知県尾張地方のふしぎ話「真夜中に墓石を磨くモノ」
https://npn.co.jp/article/detail/81091614/
石塔磨き
https://dic.pixiv.net/a/%E7%9F%B3%E5%A1%94%E7%A3%A8%E3%81%8D
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【文 ZENMAI】
画像 ウィキペディアより引用