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下ネタだらけの歌が名曲に大化け?!演歌歌手「吉幾三」伝説

吉幾三は、青森出身の演歌歌手、また俳優としても活躍する人物である。北国の情景を歌う楽曲に特化して数々の名曲を世に送り出し、またコミックソング「俺(お)ら東京さ行ぐだ」(1984)は、後年のアレンジ楽曲などによって現在も世代を超えて高い知名度を誇っている。そして演歌界でも稀有なシンガーソングライターでもある。

生前の志村けんとも交流が深く、『志村けんのバカ殿様』には津軽の殿様として頻繁に出演しており、顔を赤らめた酔っ払い、かつ下ネタ全開のキャラクターで親しまれた。

吉幾三の大々的ヒットにおいて、欠かすことのできない存在といえば先輩歌手であった千昌夫である。吉幾三がデビュー間もない頃、コミックソング「俺はぜったい!プレスリー」(1977)がヒットするもしばし低迷期を迎えた際に初めて両者は顔を合わせた。その席で語り合った末、当時吉幾三が作った「おど」という楽曲を千昌夫に提供することとなった。「津軽平野」というタイトルに改められたこの曲は見事にヒットとなり、同年には千昌夫のレーベルより「俺ら東京さ行ぐだ」が発売されることとなった。

この時、千昌夫は「お前は、自分の頭の中に何十億眠ってるか分かってねえから」と吉幾三に言っていたというが、彼の才能を見出した千昌夫はまさに予言のような形で実現することとなったという。のちに、本格的な演歌へ舵を切った吉幾三に対し、千昌夫は反対の意向であったものの、そちらも見事にヒットを飛ばしたことで互いに泣き合ったほどであったという。

この時、吉幾三がコミックソングのイメージを払拭し、本格演歌歌手として認められるようになったきっかけの楽曲こそ、名曲『雪國』(1986)であった。シングルで100万枚を売り上げるほどのミリオンセラーとなったこの曲は、大人気音楽番組「ザ・ベストテン」でも第一位となり、スタジオで彼が歌唱した際は感極まって途中歌えなくなってしまうほどであったという。

そのような感慨深い名曲『雪國』であるが、実はその誕生にとんでもない逸話がある。発端は、「俺ら東京さ行ぐだ」のヒットを記念した温泉旅行でのこと。場所は栃木県の那須にあったホテルで、吉幾三は宴会でベロベロに酔っ払っていた。その時、余興としてその場の即興で一曲歌い始め、同席していたディレクターが「曲が良いからちゃんとした歌にしよう」ということで、これがのちに『雪國』となった。

しかし、実は即興で歌った当初の歌詞はとんでもなく下ネタのオンパレードであり、例えば歌詞の出だしにある「好きよあなた」が元々「だめよそこは」だったのだという。おそらく、コミックソングの調子がまだまだ残っていたこともあったのだろう。

なお、『雪國』には更に、印税収入が全て酒に消えたという逸話も残っている。大ヒットとなったこの楽曲のレコード印税は凄まじい額であり、当人も「5億円は飲んだ」と称したほどである。日本酒を抱えながら飲み、朝の番組は酒臭いままで出演、さらには腸のポリープが破れて数度入院したという。数々の名曲を生み出す歌唱力とは打って変わっての豪快なオヤジぶり、そのようなところが人々から親しまれる大きな魅力となっているのは間違いないだろう。

【参考記事・文献】
吉幾三が明かす『雪國』の元々の歌詞 そのすごさに鶴瓶思わず「おい! 何言うてんねん!」
https://news.1242.com/article/426652
「好きよ あなた~」は「だめよ そこは~」だった…吉幾三あかす、泥酔下ネタから生まれた名曲「雪國」
https://hochi.news/articles/20180315-OHT1T50228.html?page=1
吉幾三に「頭の中に何十億眠ってる」と予言…千昌夫が提案した「俺ら東京さ行ぐだ」は本当に売れた
https://www.yomiuri.co.jp/culture/music/20220318-OYT1T50183/

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【文 ナオキ・コムロ】

画像『雪國