桂三木助は、初代と二代目は大阪、三代目からは東京に移った落語の名跡の一つである。
そのうちの四代目い桂三木助は、1985年9月に真打昇進と共に四代目を襲名し、男前で実力派のプリンスとして大きく期待されていた存在であった。しかし、のちに鬱病による数々の奇行が目立ち、2001年1月に43歳という若さで自ら命を絶ってしまった。
この四代目桂三木助にまつわる、「歯車が狂い出した」とも形容されたとある事件があった。通称「謎の光事件」と呼ばれるこの出来事は1990年代後半に発生。10月29日から30日にかけての深夜、彼が都内北区の路上で倒れているのが、彼が乗っていたであろう転倒した自転車と共に発見された。
当初、事故によるショックのせいもあってか喋ることもままならなくなっていた彼であるが、のちに本人によって語られた証言は実に奇妙なものであった。
それによると、猫のエサを買いに行くべく自転車で走行していたところ、左側から突如として謎の光が現れたと思った瞬間に気を失ったというものであった。
この事故は、池袋演芸場にて芸術祭初参加ともなる「桂三木助独演会」が執り行われる前々日に発生したこともあり、ケガのため中止という発表によってマスコミによる大きな注目の的となった。それと同時に、あらぬ噂が次々に語られるようになっていった。
芸術祭が既に目前であったという事情から、芸術祭参加に自信をなくしたために体調がおかしくなったのではないかというものをはじめとして、彼に冷たくされた女性が待ち伏せをして襲ったというもののほか、宇宙人・UFOと接触したのではないかという突拍子もないものや、狂言ではないかといったものなど、この謎の光事件は流言飛語で溢れ返ることとなった。
この謎の光の証言は一体何だったのだろうか。
この事件については、彼の姉である小林茂子のブログでその詳細を知ることができるが、彼女が確信している謎の光事件の真相は、バイクによる轢き逃げであるというものだ。
しかし、轢き逃げではないかということは、ほぼ全くといって良いほど話として浮上することは無かった。彼女の記述によると、この事故は彼の単独であり、現場で勝手に気絶していたという、まるでいい加減な調書が警察により提出されたという。そして、このことが「芸術祭への自信を喪失したことによる自作自演の事故」という噂の発信源にもなったという。
この事故により、警察やマスコミに振り回され、さらにはある大物落語家からの”いじめ”による鬱病という二重苦三重苦を抱えた三木助は、気候が目立つようになりついには自らの首を縊るに至ってしまった。謎の光事件は単なる都市伝説ではなく、一人の人間の人生を大きく変容させてしまった悲劇的な事件と言えるかもしれない。
【参考記事・文献】
四代目桂三木助間違いだらけの都市伝説
https://ameblo.jp/shigeko-k/entry-12407639786.html
三木助伝説
https://ameblo.jp/shigeko-k/entry-11813004347.html
うつ病で自殺した43歳のプリンス桂三木助
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/142963
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【文 ZENMAI】
画像 DragonOne / photoAC
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