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日本で初めて指名手配書が出回った盗賊「日本座衛門」

1862年に江戸市村座で初演された歌舞伎演目『青砥稿花紅彩画』(あおとぞうしはなのにしきえ)といえば、日本駄右衛門を頭とする弁天小僧、忠信利平、赤星十三郎、南郷力丸の五人の盗賊の活躍を描く通称「白浪五人男」として知られる世話物である。

盗賊を主人公とする歌舞伎の演目「白浪物」の中でも特に有名なものであり、五人が並んで一人ずつ名乗りを上げるという「つらね」の構成は、現代の五人組の戦隊ヒーローものに受け継がれており、戦隊ものの元祖であるとも言われている。

彼ら五人には、モデルとなった実在の人物がそれぞれいるが、その中の五人男のリーダーである日本駄右衛門の名前のモデルとなったのは、江戸時代中期の浪人・盗賊であった「日本座衛門」だ。

日本座衛門(本名:浜島庄兵衛)は、1719年に尾張徳川の足軽であった浜島友右衛門の子に生まれた。美形で頭もきれる少年であったために周囲からチヤホヤされていたものの、それゆえに傲慢化してチンピラとなってしまい、さらには酒・女・ギャンブル三昧で20歳の時に親から勘当されてしまった。

その後、仲間を集めて200人を超える子分を従えた盗賊団を作り上げ、豪農や商店を襲い、大名や商人の現金輸送を待ち伏せて強奪するなど、東海道諸国を荒らし回った。

五人男での日本駄右衛門は、千人もの手下を従える大盗賊でありながら、無駄な殺しはせず、非道をしないという信念を持ち、実の息子の前では盗賊であることを恥じ、弁天小僧の死を悼む情にあついキャラクターとして描かれている。一方、日本座衛門というと、その盗賊団は金品を奪ったついでに女たちを襲い、殺傷も数知れないほどの凶暴で凶悪な盗賊団として恐れられていた。

なぜ、創作(歌舞伎)でそのような正反対のキャラクターになってしまったかについては、日本座衛門の狙いの対象が裕福な商人や大地主などのいわば金持ちの狙い打ちであったことから、義賊として持ち上げられたのではないか考えられている。現に、五人男日本駄右衛門の人物設定自体は石川五右衛門がモデルとなっているという。

さて、日本座衛門は日本で初めての人相書き、いわゆる指名手配書が出された人物であり、また「盗賊」という立場で人相書きが出されたのは彼が唯一の例と言われている。人相書きといっても、当時は似顔絵のようなものは書かれておらず、特徴が箇条書きとして書かれていたものとなっている。

それによれば、身長約175cm、歳は29歳で見た目は31、32歳ほど、5cmほどの傷があり、色白で歯並び普通、鼻筋が通り、目は切れ長で面長、といった具合である。

大捜索によって盗賊団の幹部たちが次々と捕縛されていき、手配書が出回ってからも日本座衛門は逃亡を続けていたが、安芸の宮島にてもはや逃亡は限界であると観念し、京都奉行所に自首したという。江戸に送還されたあとは判決によって市中引き回しの上獄門となり、3月11日に29歳で処刑された。

史跡としては、東京都墨田区の徳之山稲荷神社に首洗いの井戸の碑、遠江見附の見性寺に墓があるほか、二音座衛門の愛人が斬首後に晒された彼の首を持ち去り、遠州金谷宿の宅円庵に埋葬されたとの言い伝えにより首塚がある。

【参考記事・文献】
八剣浩太郎『奇伝江戸人物誌』

日本左衛門の解説~盗賊としては日本初の指名手配になった頭領「宅円庵の日本左衛門首塚」
https://rekan.jp/3234/
人物クローズアップ第10回[東海道]『江戸時代の大泥棒日本左衛門』にっぽんざえもん
http://www.ochakaido.com/rekisi/jinup/jin10.htm
【白浪五人男とは?】歌舞伎名台詞の現代語訳とあらすじを徹底解説
https://jp-culture.jp/shiranami/

【アトラスラジオ関連動画】

【文 ナオキ・コムロ】

画像 ウィキペディアより引用