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イギリスの謎の遺跡「シーヘンジ」は夏を引き留めるための儀式の場だった?!

イギリスの新石器時代の謎めいた遺物といえば、ストーンヘンジが最もよく知られている建造物だろう。しかし、考古学者たちは今、4000年前にノリッジの沖合に建てられたさらに奇妙な建造物の秘密を解き明かし始めている。

「シーヘンジ」は、1998年にノーフォークのホルム・ネクスト・ザ・シー村の近くで考古学者によって初めて発見された。

この建造物は、55本の割れたオークの幹が、25フィート(7.5メートル)の楕円形に配置され、逆さになったオークの切り株を中心に、5本の大きなオークの柱からなる「馬蹄形」を取り囲んでいる。

研究者たちは、その横に建てられたホルムIIと呼ばれる2つ目の木製の円も発見した。これらの建造物は、浸食によって最終的に姿を現すまで、何千年もの間、海岸近くの塩沼の下に埋もれていた。

ところで、その最終的な位置が示唆するのとは裏腹に、「シーヘンジ」という呼び名は実際には誤っている。もともとシーヘンジは、砂丘と干潟によって海から守られていた場所に建てられていたのだ。何千年もの間、沼地は泥炭の厚い層となっていたため、木製の柱は驚くほど良好な状態で保存されている。

だが、ストーンヘンジ同様この建造物がなぜ建てられたのか、人々の生活にどのような役割を果たしたのかについては、ほとんどわかっていない。 シーヘンジを建てた人々の痕跡はほとんど何も残っていないため、考古学者が彼らの使用方法について具体的な証拠を見つけるのは極めて困難である。

この4,000年のギャップを埋めようと、ナンス博士は遺跡の考古学と天文学的予測、環境データ、地元の民間伝承を組み合わせた。これまでの研究では、この建造物は個人の死を記念したり、死者を輪の中に入れて腐肉を食べる鳥に食べさせる天空葬を行うために建てられたと考えられてきた。

しかし、ナンス博士の研究は、これらの建造物が夏を長持ちさせるために建てられた可能性を示唆している。ナンス博士は次のように説明する。

「これらの建造物が建てられた4,000年前は、大気温度が低下し、厳しい冬と遅い春が長く続き、初期の沿岸社会がストレス下にあったことがわかっています。これらのモニュメントには、この存亡の危機に終止符を打つという共通の意図があった可能性が最も高いと思われますが、それぞれの機能は異なっていました」

ナンス博士は、シーヘンジが『ペントカッコーの神話』に関連した儀式の一部として使われていた可能性を示す証拠として、シーヘンジの構造を指摘している。

「この地域に残っている民間伝承によれば、夏を延長するために、とげのないカッコウをとげのある茂みに入れ、『壁で囲った』ことが語られています。夏至は豊穣を象徴するカッコウが伝統的に鳴くのを止めてあの世に帰り、そのカッコウと共に夏も去るのです。シーヘンジの木材の年代測定から春に伐採されたことがわかり、これらの木材は夏至の日の出に合わせて並べられた可能性が高いと考えられます」

同じころに建てられたと思われるホルムIIは、別の手法で同じ目的を達成しようとしていたのかもしれない。2つ目の円は、シーヘンジの2倍の大きさである横43フィート(13.2メートル)で、2つの大きな棺のような材木を囲むオークの柱の外輪でできている。

シーヘンジが夏至に合わせたのに対し、占星術の予測では、紀元前2049年、この円はサムハインの日の出に合わせたとされている。この日は特に重要で、この年には金星が空に見えていたはずだからだ。

ナンス博士によれば、これは鉄器時代のアイルランドと北ブリテンに記録されている『聖なる王』の伝説と関係がある可能性があるという。金星の女神を鎮めるために生け贄として捧げられたコミュニティのメンバーである。ヴィーナスの8年周期と同じ8年ごとのサムハイン(現在のハロウィン)に、儀礼的に生け贄に捧げられたことを示す証拠がある。

もしそれが本当なら、棺の形をした材木は、短い夏と長い冬に終止符を打つために生贄として捧げられた人々の遺体を納めるために使われたのかもしれない。

【文 黒蠍けいすけ】

Photo credit: Picture Esk on Visualhunt.com