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トルコの謎めいた遺跡「カイマクル地下都市」が作られた目的とは?!

カッパドキアは、トルコのアナトリアに存在する山岳地帯であり、紀元前15世紀から紀元前12世紀にはヒッタイト王国の中心地であった地域。このカッパドキアには、地下8層に及ぶ地下都市の跡が存在、「カイマクル地下都市」と呼ばれている。

イコン破壊運動によるビザンツの美術品の多くが失われた中で壁画などが生き残っているということ、ビザンツ帝国時代の辺境の暮らしが確認できることなどを基準として、この地下都市はトルコの世界遺産にも登録されている。

その価値は非常に貴重なものとなっており、「地下都市巡りをせずにカッパドキアを語るべからず」と言われるほど、当地観光においては欠かせないスポットの一つにもなっている。

地下都市の記述としては古代ギリシアの著述家クセノポンの著書、小アジア遠征記である『アナパシス』には既に地下都市についての記載が見られる。1963年に、トルコのネヴシェヒル県在住のある男性によってこの地下都市が偶然に発見され、65年から本格的な調査が行なわれるようになった。

地下都市は寝室、馬屋、テーブルどころか食糧貯蔵庫、ワインの醸造所、学校、教会などが岩を削って作られており、各階へ通じる通気口も設けられ最深部でも呼吸が可能となっている。先の『アナパシス』の記述を見ると、ヤギ、ヒツジ、ウシ、ニワトリなどの家畜も飼育されていたようだ。

しかしながら、大小150~200もの地下都市がそれぞれ繋がっているほどの規模を誇り、最盛期には2~5万人が居住していたとも言われているこの地下都市は、建設された年代がはっきりとしていない。それどころか、掘り出した岩土はどこへ捨てられたのか、一体どれだけの年月を費やして建設されたのか、どのような人々が何に目的で利用していたのかなど、現在でも多くが謎に包まれている。




現在有力とされているのは、多民族や侵略者から人々が身を護るために建設されたとする説であり、バビロン王朝を倒したヒッタイト人が敵から身を護るために建設したという説もある。

キリスト教登場以前から存在していたということだが、かかわり自体は歴史的にも深く、フリュギア人がカッパドキアに定住してから、イスラム国家からキリスト教を守る目的で地下都市に隠れ住んでいたという事実が判明している。

その後も、キリスト教徒たちがアラブ人の脅威から逃れるための避難場所にも利用されていたという。

その一方で、避難場所とするにはあまりにも規模が広大すぎるとの見方もある。そこで一説として唱えられているのが、この地下都市は古代核戦争における核シェルターの働きをしていたのではないかとする説である。

人類で初めて鉄を使った民族と言われるほどに高い技術力を有していたヒッタイト人が、核戦争から身を護るために建設したのが地下都市だったのではないかという。

地下が設けられた遺跡と言えば、パキスタンの世界遺産モヘンジョダロも高度な文明・技術力が備わった都市だったと言われており、何層にもなる地下の存在も確認されている。何より、古代核戦争の存在が唱えられている最も有名な遺跡でもある。

カイマクル地下都市と共通する部分も多く、それぞれが同様の建設動機を持っていた可能性もあり得るのかもしれない。

【参考記事・文献】
都市伝説のカッパドキア世界遺産 | カイマクル地下都市
https://torukonotoriko.com/travel/place/nevsehir_kaymakli_yeralti_sehri/
トルコの世界遺産「カイマクルの地下都市」とは?世界遺産マニアが解説
https://worldheritage-mania.com/constitutional-heritage-kaymakli/
カッパドキアの地下都市はなぜ作られた?ミステリーな謎を解説!
https://worldclub.jp/turkish/cappadocia-underground-city/
カッパドキアの地下都市とは?謎に包まれた歴史と観光のポイントを解説
https://turkish.jp/tourguide/%e3%82%ab%e3%83%83%e3%83%91%e3%83%89%e3%82%ad%e3%82%a2%e3%81%ae%e5%9c%b0%e4%b8%8b%e9%83%bd%e5%b8%82/
キノコ岩はどうできた?誰が作った?カッパドキアの知っておきたい歴史
https://www.yassublog.com/entry/cappadocia-history/
古代文明は核戦争で滅亡した? 古代核戦争説にまつわる7つの事例
https://news.biglobe.ne.jp/trend/1128/toc_221128_8261199579.html

【文 ZENMAI】

画像 ウィキペディアより引用