事件

フランスの政治を大きく動かしたルイ15世の愛人「ポンパドゥール夫人」

フランスのブルボン王朝第4代国王であったルイ15世。わずか5歳で即位した彼は64歳で死去するまで、実に奔放な私生活を送っていたと言われている。

彼自身は政治に無関心である一方で、多くの愛人を持っていたことでも知られており、「最愛王」とも呼ばれていた。愛人の中には、彼の治世に影響を与えた者も少なくはなく、公妾であったポンパドゥール夫人は特に有名な人物として名が残っている。

ポンパドゥールことジャンヌ=アントワネットは、生まれは平民という身分であり、父は職工のフランソワ・ポワソンということになっているが、父親と顔が似ていないことは当時から噂になっており、父親は別にいるのではないかとも言われている。

5歳から9歳まで女子修道院で教育を受け、極めて優秀な成績をおさめていたという彼女。ある日、母親に連れられて占い師の元へ行くと、「国王の心を支配するようになる」と言われたという。

のちに、母の愛人であった資産家トゥルネームの援助によって貴族以上の教育が施されるようになり、教養溢れる才女へと成長していった。この当時、平民という身分で貴族以上の教育を受けるというのは異例中の異例であった(これによりトゥルネームが実の父親ではないかとの説もある)。

その後、徴税請負人のデティオールと結婚したことで超一流サロンへの出入りが可能となった彼女は文化人との交流を深めていくが、その中でルイ15世の目にとまることとなった。当時ルイ15世は、愛人であったシャトールー侯爵夫人な亡くなったことで打ちひしがれていたタイミングであったという。

一説には、ルイ15世は狩猟の時期になるとデティオールのシャトー(邸宅)に来ており、彼女はルイ15世の目に頻繁にとまるよう偶然を装って鉢合わせになるよう工作を図っていたという。そうこうした経緯によって、彼女はポンパドゥール侯爵夫人という称号を与えられ、夫と別居をし「公妾」となった。公妾とは、いわば正式に認められた愛人という存在である。

平民出身者にとって、このような称号が与えられかつ地位に就くということは前例のないほどの大出世であった。「私の時代が来た」という言葉は、この頃の彼女の言葉として知られている。

政治に無関心であったルイ15世と違い、彼女の政治的野心は非常に高く、政治への関与が許され人事なども任されていたほど主な舵取りは彼女が行なっていたという。ルイ15世の妃マリー・レクザンスカに忠誠を誓うことで王妃をも味方につけ、さらなる寵愛を受けることとなった彼女は、名実ともに影の実力者となっていった。




彼女の最大の功績として、1756年にオーストラリアのハプスブルク家のマリア・テレジアと、ロシアのエリザヴェータと手を組んで反プロイセン包囲網を結成・完成させた、通称「3枚のペチコート作戦」であろう。このフランスの外交方針を180度展開させたこの施策は「外交革命」とも呼ばれ、大きな功績として称えられることになった。

また、この時のオーストラリアとの同盟関係による和解の印として、ルイ16世に嫁いだのがマリー・アントワネットであったと言われている。

戦略家としての彼女にまつわる、さらなる逸話がある。体調不良により30歳ごろから妾を退いた彼女は(ルイ15世の性欲に耐えられなかったという説もあるが)、それでも引き続いて政治的な関心は留まることを知らず、王のよき理解者として親交を続けていた。そのうち、他の女性に王の寵愛が移ることを懸念して『鹿の園』と呼ばれる館を作ったと言われている。

ヴェルサイユの森に作られた「鹿の園」はいわゆる娼館であったとされており、その時々で娘一人が王の相手をしていたことが多かったという。そこで働いていたのは貧困階級の少女で、王の前での礼儀や作法などを教えられてから採用されていたらしく、一定期間が過ぎるとかなりの良家に嫁げる待遇にもなっていたと言われている。

実のところ、ポンパドゥールがこの館の建設に関わっていたかは定かではないが、世間からは「売春斡旋業者」などと揶揄されることもあったようである。

その後、結核によって彼女は42歳という若さで亡くなったが、ルイ15世は、自身に病がうつることも厭わず熱心に彼女を看病、彼女が亡くなった際は大いに嘆き悲しんだという。彼女の棺がヴェルサイユから出発する日に雨が降っていたのを見て、「夫人の旅路にはあまり良い天気ではないな」とつぶやいたと言われている。

彼女は間違いなく、フランスを大きく動かした存在であった。

【参考記事・文献】
【ポンパドゥール夫人】平民からルイ15世の愛人となり、フランスを動かした女性
https://sekaishilibrary.com/madamedepompadour/#toc12
ポンパドゥール夫人|「セーヴル」を創成し、宿敵オーストリアとの同盟を実現した、フランス国王ルイ15世の公妾
https://wabbey.net/blogs/blog/madamedepompadour
ポンパドゥール
https://www.y-history.net/appendix/wh1001-109_1.html
ルイ15世の美人公妾『ポンパドゥール夫人』その功績は完全に敏腕政治家
https://bushoojapan.com/world/france/2019/12/29/38185
ポンパドゥール夫人とは?
https://rekishi-style.com/archives/6648

【アトラスラジオ関連動画】

【文 ナオキ・コムロ】

画像 ウィキペディアより引用