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大洪水から生還した「ノアの方舟」は実在したのか?

旧約聖書の創世記にある『ノアの方舟』といえば、堕落し悪行を働くようになった人間たちに対して、一度洗い流してしまおうと考えた神が大洪水を起こすも、唯一正しいと認めたノアをはじめその家族や動物たちを乗せる巨大な方舟を造らせた、というストーリーとして知られる。

そのような大洪水が、果たして本当にあった出来事なのかという研究がなされているのと同時に、箱舟は本当に実在したのかという研究もなされている。

真っ先に浮かぶのは、舟そのものが構造的に運用可能であったのかという点であろう。聖書の記述によれば、その寸法は「長さ300キュビト、幅50キュビト、高さ30キュビト」とあり、メートルに換えると「長さ133.5m、幅22.2m、高さ13.3m」となる。この数値は造船の技術上最適な比率に非常に近い値であると言われており、構造上はあり得た可能性もあるのだ。しかし、理論上は可能であったとしても、方舟の痕跡が無い限りは証明されたとは言えない。

方舟が遺物として残されているということについては、古代から文献において仄めかされていたり、現代においても衛星写真から方舟らしきものが捉えられたりといった例が後を絶たない。

方舟の残骸については古くから記録が残されている。紀元前3世紀、バビロニアの歴史家が方舟の残骸らしきものが発見されたとの記録を残し、1世紀にはユダヤ人の歴史家が「方舟の辿り着いたとされる場所で、今でもその残骸を見せてもらえる」と著書に記しているという。13世紀には、マルコ・ポーロが見聞録の中で方舟の残骸について触れている。

方舟は、現トルコ領アララト山に漂着したと言われている。もっとも聖書の記述によれば「アララトの山々」となっているため、周辺の山であるという可能性も否定はできないのだが、前述した古文献の記述なども相まって、アララト山は神話の伝説が残る神聖な山として認知されるようになっている。




発見が相次ぐようになったのは19世紀になってからだ。1840年、アララト山が噴火を起こし、一時付近一帯が壊滅状態になった。その後、1883年に発生した火山性地震によって、方舟の残骸らしき古い木造建築物が露出した。

1960年以降には、衛星によって舟と思しきシルエットが観測されており、また方舟らしき建築物と思われる”遺跡”も発見されている。現在までの調査によれば、そこは左右対称の人工的な地形をしており、巨大な木造の部屋7つからなるという。

また、古い時代の木や動物の毛などといった化石が多く発見されており、高度な技術で造られた金属部品の存在や、その他人間活動の痕跡も多く見受けられているという。なお、この場所は「ノアの方舟」であると公式に認められているわけではないが、トルコ政府により「ノアの箱船国立公園」に指定されている。

こうした数々の遺物の発見がなされている一方で、当然ながら否定的な見解も見られる。方舟のような形状をした遺跡は、偶然そのようにできた自然の地形であるというものから、人工的であるとしても、それは初期キリスト教徒が聖書の記述に則り、方舟が漂着した場所として記念に建造した祭壇の施設にすぎないのではないかとの意見もある。

2010年には、トルコと中国の探検チームによって発見されたという「方舟の木片」が、労働者たちによって運び込まれた木材であったという偽造の証言も出ている。

ただし、方舟自体は実在していたとしても、漂着して以後に解体されてとっくに残っていないという主張もある。大洪水によってすべてが洗いざらい流されてしまった土地で、避難所建設や燃料などに再利用するために方舟が木材として解体された、という見解は合理的であるかもしれない。

【参考記事・文献】
【調査続行中】「残骸」も発掘された「ノアの方舟」は本当にトルコのアララト山に辿り着いたか
https://www.asagei.com/excerpt/284011
「ノアの方舟」の存在を示す証拠を発見したかも…考古学者たちはそう考えています
https://www.esquire.com/jp/news/history-archaeology/a46171142/was-noahs-ark-found/
アララト山でノアの箱舟を発見?
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/3514/
2010年の中国人によるノアの箱舟の発見
https://x.gd/4DxhO

【アトラスラジオ関連動画】

(黒蠍けいすけ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像 ウィキペディアより引用