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デンマーク王「クリスチャン7世」のあまりに退廃した性生活

1766年から1808年までデンマーク=ノルウェーの王として在位していたクリスチャン7世は、父王の死により17歳で王位を継承。

彼の幼い頃は、愛嬌と才能に溢れていたと言われているが、残忍で粗暴な教育係であったデトレフ・レヴェントロー伯爵によって、鞭を打たれるなど暴力的なしつけがなされ、この頃の恐怖感から次第に精神を患うようになっていった。

クリスチャン7世は、見かけはスマートで魅力的な紳士であったという。だがカロリーネ・マチルデ・アフ・ストルブリタニエンが妃となった頃にはすでにアル中となっており、精神的に不安定で放蕩に浸っていたようだ。これに加えて彼の取り巻きは、彼を持ち上げて遊び回るような人々ばかりであり、これによって彼はますます堕落した生活を送るようになった。

では、マチルデと夫婦となったことで、以後このことが省みられたかと言えばそんなことは無かった。彼は、深刻な統合失調症であったと言われている。結婚生活は破綻した状態にあり、この時期の彼は被害妄想、自傷行為、幻覚などが見られるほどかなり深刻な精神錯乱状態に陥っていたという。夕食時には客に対して食べ物を投げつけるという癖があり、会話中に理由なく相手を平手打ちするといった行動も見られ、年齢不相応のイタズラが多々見られた

彼は婚礼後には、「愛妻家ほど恥ずかしいことはない」「一人の妻だけを愛することは時代遅れだ」と公言し、もはや狂気と言えるほどに乱れた生活を送り、売春婦とも関係を持っていたという。

また、彼はもはや政務に関心を示しておらず、国の政策が支離滅裂な指示に左右されていた状態であったと言われている。彼の侍医であったヨハン・フリードリヒ・ストルーエンセによって、国政が代わりに決定されるようになったのだが、これによってストルーエンセは権力を強めていった。




夫にも相手にされず、また周囲からも孤立していたマチルデは、ストルーエンセと関係を持っていたとも言われている。彼女は悲劇の王妃として語られることもあるが、一方で恋に溺れた軽薄な王妃という評価もある。

クリスチャン7世は、もはや名目上の王という立場でしかなくなっていった。先にも言ったように、荒れた性生活を送っていたが、それと同時に強迫的ともいえるほど自慰行為を頻繁に行なっていたという。

「売春婦を見つけること、自慰行為をすること、物を壊すこと」がお気に入りの娯楽であったと言われている彼であるが、さらに驚くべきは、自身が痛めつけられることが好きであったという。特に、椅子に縛り付けられて、鞭打たれることが好きであったそうだ。

王妃マチルデとの不倫により逮捕され、処刑されたストルーエンセは、幽閉中に国王の回想録を執筆していたが、その記述からは、王が自慰行為ばかりに耽ったためにこのような事態が引き起こされたという彼の考えを垣間見ることができる。

道徳的に退廃した生活を送っていた彼であるが、意外にも国民からの人気は高かったとも言われている。暴力と淫乱にまみれた王は、1808年、脳卒中により59歳でこの世を去った。

【参考記事・文献】
「国王の状況に関するストルーエンゼーの回想録」(1772年):デンマークのクリスチャン7世
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/24573261/
デンマーク王クリスチャン7世妃 カロリーネ・マチルデ
https://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/b40baac151278b23a11e3b1625d7807c
デンマークのクリスチャン7世
https://hmn.wiki/ja/Christian_VII_of_Denmark
クリスチャン7世:自慰行為と暴力に取り憑かれた王
https://histoiresroyales.fr/christian-vii-roi-obsede-masturbation-fou-violent/

(黒蠍けいすけ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像 ウィキペディアより引用