多くの冠番組を抱え、その辛口な物言いで人気の芸人有吉弘行(ありよしひろいき)。2023年には紅白歌合戦の司会を担当するなど、現在は司会者としての活躍が中心となっている。
かつて彼は、猿岩石というお笑いコンビを結成、1996年、『進め!電波少年』という番組において、香港からロンドンまでのユーラシア大陸ヒッチハイクという過酷な企画にチャレンジした。
ヒッチハイクは大成功し、それによって猿岩石は一躍ブレークを果たしたものの、その過酷さによるつらい記憶ゆえか、有吉はヒッチハイク当時に着用していた衣類や履物を思い出の品として残すこともなく即処分したという。
のちに、ヒッチハイクを含め『電波少年』のヤラセ疑惑が強まったことにより猿岩石ブームは終息し、2007年の『アメトーーク』出演で再び大ブレークを果たした。
そんな彼が「二択どちらかならヒッチハイクを選ぶ」と断言したほどの経験があった。そのもう一方の選択というのが、大御所漫才コンビ、オール阪神巨人のオール巨人の弟子時代である。
オール巨人といえば、弟子に非常に厳しいことで有名だ。弟子に厳しいというのは珍しいことではないが、関西では弟子に厳しく自分に甘いという例が少なくはなかった。だがオール巨人の場合、弟子にも自分にも厳しいということで恐れられていた。
1992年、有吉はテレビ番組の企画によって高校在学中にオール巨人に弟子入りをする。この時、堀之内という人物と同時に弟子入りとなったために、両者は兄弟弟子という間柄となった。堀之内によれば、広島から引っ越してくるのに時間がかかってしまった有吉が弟弟子ということになったという。
オール巨人の弟子時代について、有吉は極度のプレッシャーからか、いつも失敗をしては叱責されていた。靴を左右逆にそろえたり、スーツをかけるハンガーを前後逆にしてしまったりといったことがあり、また、舞台を終えた師匠に渡すためのおしぼりは毎度自分の洗濯物と洗ってしまうため「臭い」と毎度怒られていたという。
さらには、運転免許もないのに「できる」と言ってしまい、ギアのR(リバース)を「Run」と勘違いして金網に激突したこともあったそうだ。「服、どれでも持って帰れ」と師匠から言われた際、一枚も持って帰らずに怒られたこともあったという。
こうしたことが重なり、有吉はオール巨人から「人の心が無い」「師匠のことが好きではない」という指摘をされ、後年には有吉本人も「気が利かない弟子だった」「ただただイライラさせてしまうやつだったと思う」と自身を振り返っている。
そうした中で事件が起こる。
ある時、彼は兄弟弟子と取っ組み合いの喧嘩をしてしまい、相手の前歯を折るなどの怪我を負わせてしまった。有吉によれば、いつも師匠から昼食代として1000円渡されていたのだが、ある料理屋でのレジが混在していたために堀之内が有吉に二人分の清算を頼んだという。後で支払うつもりであったようだが、有吉はこのことが不服だったようで、堀之内を人気のないところに連れ出し喧嘩に発展したという。
この出来事により、彼はオール巨人から「乱暴者はいらない、頭を冷やせ」ということで長期謹慎を言い渡された。だが、有吉は謹慎中という身にも関わらず上京して猿岩石を結成、その後ヒッチハイクで一躍人気コンビとなった。
しかしながら、ブレークを果たしたその裏で彼はオール巨人の元へ「謝罪」に赴くことをかなり恐れていたという。そして後年、オールスター感謝祭のスタジオでついに再開することとなり、本番終了後真っ先にオール巨人の楽屋を訪れて土下座をした彼は、「いろいろとつらかったんやろ、これでようやく破門や」と正式に言い渡された。
結果として、有吉がオール巨人のもとにいたのはわずか8カ月という短期間であった。その規律の厳しさゆえの恐怖感が非常に強かったことは事実であるが、こうしたことが今の彼の活躍のベースとして根付いていることは確かだろう。
【参考記事・文献】
有吉、元師匠・オール巨人に感謝「弟子につかせてもらってよかった」
https://www.oricon.co.jp/news/2031042/full/
前歯2本折られた兄弟子が「有吉弘行は成長したな」発言
https://smart-flash.jp/showbiz/geino/6940/1/1/
有吉弘行 “どん底”から這い上がった「毒舌王」の素顔を紐解く
https://www.news-postseven.com/archives/20211006_1696471.html?DETAIL
(黒蠍けいすけ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)