いきなり時代は飛びますが、死んだ祖母の新盆の帰り道でその祖母が私を見送ってくれた話
1989年、平成元年3月、私が高校を卒業して東京で就職して三鷹で一人暮らしを始めました。
翌1990年1月の正月休み明けに、正月にはまあまあ元気そうだった私を育ててくれた祖母が70歳で脳溢血で亡くなりました。その時、私は19歳でした。
その年の8月の旧盆が祖母の新盆だったのですが、それに合わせて子供のころ一緒に住んでいた叔母が結婚し多摩センターに住んでいたので多摩センターから三鷹経由で栃木の田舎へ叔母の車で一緒に帰りました。
新盆も終わり、また叔母一家と一緒に東京へ帰るため、実家から東北自動車道の栃木インターへ・・・私が運転をして助手席に叔母、後部には旦那さんと子供が乗っていました。
夏の夕方ですからまだまだ日差しがあり明るく晴れた日でした。栃木インターへ続く片道1車線の道路の左右は田んぼが続き、ぽつんぽつんとまばらに家が建っている風景の道を走っていると遠くに信号機が一つありました。、
そこは十字路で右角には、おにぎりから洗剤まで何でも売っている、よろづ家のような商店がありました。
遠目で信号が赤だったのでスピードを落とし交差点に近づき、ふと信号左側の道端に目をやると、とても懐かしい見覚えのある顔と服装と自転車が見えました。
それは私が子供のころ、お気に入りで夏によく着ていた白地に緑と藍色の模様が入ったブラウスと青っぽい灰色のふわっと太めのパンツ、そしてずっと乗っていた若草色の自転車から降りて信号待ちをしている祖母がこちらを見てにこやかな顔で立っていました。
「あ!おばちゃんだ!」と私は声を上げ、隣に座っている叔母に知らせましたが、叔母は私が何を言っているのか意味がわからず、「何?何?」と・・・
そのタイミングで信号が青になると、後続車がいたので止めることもできず、走り出すしかありませんでした。
走りながら今私が見たことを皆に話しましたが、そんな人いたかなぁ?と半信半疑の様子でした。
私はいまでも祖母が僕たちを見送るために出てきてくれたのだと信じています。でも、きっとあの時に車を脇に止めて振り返っても、もう祖母は消えているのでしょう。
一瞬の再会だからこそ良い思い出となるのかもしれません。
(アトラスラジオ・リスナー投稿 かもめ食堂さん ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
Yves YosephによるPixabayからの画像