たけし軍団の一員であり、お笑いコンビ「浅草キッド」のボケ役といえば、玉袋筋太郎(たまぶくろすじたろう)だ。
彼は、高校生であった1983年ごろからビートたけしの追っかけを始め、当時放送されていた「たけしのオールナイトニッポン」放送後にたけしが食事をする焼肉屋の情報を聞きつけて入り待ちするほどの熱の入れようであった。ニッポン放送の出待ちも繰り返していったことで次第に顔を覚えられ、出入りを許されるようになった。
彼のこの珍妙な芸名は、芸名を決める宴会の席で決定されたものであるが、彼の候補として出された名前は、「シロマティ」「蟻の門渡哲也」「玉袋筋太郎」の三つであった。
たけしが付ける芸名は、「それだけお笑いをやっていけるほどの覚悟があるか」を図るものであると言われているが、結局、彼の選んだのは今もなお芸名として名乗り続けている「玉袋筋太郎」だった(出待ち時代には、たけしに名前を付けてくださいと懇願した結果「鬼怒川マッサージ」と名付けられたという)。
現在、「玉ちゃん」という愛称でテレビ出演することも多くなっているため、ある意味では正解だったのかもしれない。ところで、彼には志村けんに関連するとある逸話が語られている。
その内容は、玉袋が「娘の手術で300万円が必要」だと志村に相談したところ、1000万円の入ったボストンバッグを「出世払いでいいよ」と言って渡したが、実はこの手術は全くのウソであることがわかり、松村邦洋など他の後輩芸人たちから問い詰められた玉袋が志村へ謝罪しに行くと「娘さん無事なの?良かったな」「貸したお金はいいよ」と対応したことで泣き崩れた、というものだ。
ただ、この逸話については金を騙し取った人物は別人の後輩芸人であり、玉袋は松村と共にその芸人を問い詰めた側で、志村へは謝罪ではなく報告に行ったという内容のパターンがある。
騙し取った人物が玉袋として語られることが多いものの、創作されたエピソードではないかと見る人もいる。
また、たけしがフライデー襲撃事件を起こした際、志村がたけしとその家族、軍団たちのために3億円を寄付したというエピソードがあるようだが、ガセであることが軍団の人間から語られている。
そのガセであることを明かしたのが玉袋であると言われているが、グレート義太夫により明かされたとするパターンもあり、こちらもハッキリとはしていない。各所で別々に語られたという可能性も考えられるが、何かと玉袋は志村に絡められて語られることが目立つように見える。
ただ、実際に彼が志村を尊敬していたのは事実であり、志村が亡くなった際には、かつてたけしと志村が始めた番組『神出鬼没!タケシムケン』で自身も共演したことを語り、「オーラも凄かった」と語っている。そもそも、玉袋のお笑い原体験がドリフターズの番組『8時だョ!全員集合』であったこともあり、志村けんの存在がきわめて大きかったことは間違いないだろう。
因みに、「全員集合」当時に玉袋がドリフターズで一番好きだったメンバーは加藤茶だったようだ。
【参考記事・文献】
志村けんがコロナ感染で死去!超大御所芸人の伝説の数々を知ろう!
https://fanblogs.jp/e1s/archive/6/0
玉袋筋太郎の息子がイケメン!嫁は誰?本名は?
http://alwaysnewstrend.com/4362.html
志村けんの伝説 逸話 エピソードまとめました
https://densetu.tokyo/shimuraken/
後輩芸人の嘘で手術台300万円をポンと差し出した志村けんが真実を知った時
https://www.hachi8.me/entertainment-city-urban-legend-surgical-fee-300-lie-junior-entertainer-2/
玉袋筋太郎、たけしと志村さん共演番組の思い出語る「鳴り物入りで始めた番組が…」
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/03/31/kiji/20200331s00041000312000c.html
(ZENMAI 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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