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ある邦人との出会いが人生を変えた?「シンディ・ローパー」尋常ではない日本愛

シンディー・ローパーは、アメリカ合衆国ニューヨーク州生まれのシンガーソングライターだ。

1978年より歌手活動をスタートさせて以来40年以上に渡る活躍をしており、多くのヒット曲を生み出したアメリカ屈指の女性ポップスシンガーとして知られている。90年代後半からは、映画への出演など女優としての活動も始めており高い評価を得ている。これらの功績により、音楽、演劇、テレビの業界における最高の文化賞、グラミー賞、トニー賞、エミー賞の受賞経験を有している。

シンディは、生粋のニューヨーカーである一方で大の親日家としても知られており「前世は日本人だったかもしれない」と自ら発言するほどに日本へ親しみを持っているという。クイーンやボン・ジョヴィなど、熱烈な親日家と言われる海外アーティストは多いが、初めて売れるようになったのが日本であったという彼らの体験と異なり、彼女が親日家となったきっかけは、ある日本人との出会いであったという。

12歳のころからギターや作詞も始めていた彼女は、周囲に馴染めず17歳で高校を退学し、また自身の置かれた環境に嫌気がさしたことで愛犬と共に家を飛び出した。ウェイトレスやモデル、競馬の調教助手など様々な仕事に就きながら過ごしていたが、その間の寝泊まりは森の中に張ったテントであったという。

この頃、シンディはニューヨーク市内にある日本料理店「ミホ」で働いていたことがあった。きっかけは、この店を経営する鈴木サクエという女性に出会ったことがきっかけであり、定職に就かず無為な日々を送っているシンディに対し、鈴木は「今のままではダメだからうちで働きなさい」と誘ったという。




鈴木は、シンディに限らずアーティストの卵である若者たちを自身の店で雇いながら、彼らの生活への支援を積極的に行なっていた。鈴木は、「いつか報われるからがんばりなさい」とシンディを日々励まし続け、またその中でシンディは同店で働く他の日本人とも親交を深めていき、日本への親愛の情が芽生えていったそうだ。

その後、ヒットを飛ばし人気を不動のものにしたシンディは、来日公演も行なったほか、たびたびお忍びで日本へ旅行するようになった。また、NHK紅白歌合戦をはじめとしてバラエティなど日本のテレビ番組にも数々出演をした。

95年に発生した阪神・淡路大震災においては義援金の寄付などチャリティー活動に参加していたが、特に彼女の名が広まったのは2011年の東日本大震災であった。公演のために彼女が日本へ到着した時には、すでに大きな被害報告が飛び交うさなかであった。だが、来日していた多くのアーティストたちが公演中止で帰国をする中、彼女は「歌でみんなを励ましたい」という思いから予定通りツアーを決行。この行動は紙面やワイドショーでも大々的に取り上げられ称賛されることとなった。

2019年には、天皇、皇后両陛下の「即位の礼」が行なわれた10月22日に、ツアーで来日していたシンディが天皇陛下の式典に合わせ、祝意と敬意を表すために白い衣装を身にまとってステージに上がったことも話題となった。

来日した海外のアーティストどころか、日本人アーティストですらおそらく見られないであろうこうしたパフォーマンスは、彼女の日本愛がその伝統や文化を尊重するほどに相当強いものであることがうかがえる。

【参考記事・文献】
シンディ・ローパー
https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC
【エンタがビタミン♪】シンディ・ローパー、天皇陛下“即位の礼”に合わせ大阪公演で白衣装 「なんて粋な心配り」の声
https://japan.techinsight.jp/2019/10/maki10251040.html
日本で愛され続ける親日家のアメリカ人歌手、シンディ・ローパー
https://toretame.jp/cyndi-lauper-is-being-loved-by-the-japanese-people/

(ZENMAI 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像 ウィキペディアより引用