画像『我が愛と青春のたけし軍団 (双葉文庫) 』
たけし軍団は、芸人ビートたけしのもとに弟子入りした者たちによって構成・結成された芸人グループである。歴代での総数は100人を超えていると言われているが、その多くが離脱あるいは芸能界から引退している。
方針上、女性の弟子を取らないということで、かつて「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」などでたびたび共演していたタレント野沢直子が、ビートたけしに弟子入りを志願した際には断られててしまったという。
たけし軍団のメンバーといえば、その芸名のインパクトでも有名である。
かつてバラエティ番組で水道橋博士が、ビートたけしの命名法に対して「その場の思い付き、単なる悪ふざけ」と主張、スタジオを湧かせたこともあった。しかしながら、確かにそうであるとも言えるほど凄まじい名前が勢ぞろいとなっているのは事実である。
現在、株式会社TAP(旧オフィス北野)の取締役である「つまみ枝豆」は、彼らの芸名を決める宴席で順番が後になっており、ネタが尽きていたために酒の肴から名付けられたという。その際、「つまみ枝豆」か「フグ珍味ピリピリ」の二択が展示され、マシだと考えたほうを選んだという。
コメンテーターとしても活躍する「ガダルカナル・タカ」は、昔の戦争映画に出てくる日本兵に似ているということで、ソロモン諸島のガダルカナル島から名付けられており、「グレート義太夫」は、毒霧を吹くレスラー「ザ・グレート・カブキ」になぞらえて、歌舞伎を義太夫と洒落てつけられたという。
芸人の中でもきわめて俊足で知られていた「井手らっきょ」に至っては、らっきょうのような見た目という理由で名付けられたそうだ。さらに、本名が東国原英夫で政治家としても活動している、一番弟子「そのまんま東」は、メンバーたちの芸名を決める際に一人まだ決められていなかったことを伝えたところ、「じゃあそのまんま”東”で」とビートたけしが伝えたのだが、メモを取っていたラッシャー板前が「そのまんま東」とまるまる記述してしまったために現在に至る。
なお、たけし軍団の芸名は、何度か改名されているケースも少なくない。
もともと立川談志の弟子であった「ダンカン」は、はじめ「フンコロガシ」という命名がされていたが、のちに高座での名であった立川談かんからとったダンカンを名乗ることとなった。「松尾坂内」は、ミステリー映画シリーズ『多羅尾伴内』が由来となっているが、当初は「いびつこめびつ」と命名されていた。
この他、マイナーなメンバーの中には、殺人犯の名前をもじった「新大久保清」、俳優の名をもじった「負古太郎」、5回以上の改名をした者もおり、中には「東京名物大神本舗五百年」というビートたけし自身ですら覚えていないほどに長い芸名を付けられた者もいた。
これらの芸名は、『大人になって恥ずかしい名前にしよう』というビートたけし自身のコンセプトのもとに作られていたそうだ。現在ビートたけしは、弟子を取っていないようだが、かつては弟子入り志願者に対してはほぼほぼ受け入れていたという。そもそも、フライデー襲撃事件後に参加メンバーの詳細な経歴を初めて知ったという程度の受け入れ態勢だったそうだ。
これから芸人として活動していく上で、どんなメチャクチャな名前であろうとやっていけるかを見るための、ある意味篩(ふるい)の意図もあると考えることもできるだろう。
ダジャレやパロディなど、一見メチャクチャな名付けであることは確かであるが、それでも現に活躍し続ける(主に初期から所属する)メンバーが多いことは、驚くべきことであるとも言える。今後お笑い芸人を目指す上で、これほど理不尽な立場を与えられ、かつ覚悟を抱いて上がるような若者が登場するかどうか注目してみたい。
【参考記事・文献】
コンセプトは「大人になって恥ずかしい名前にしよう」、結成40周年「たけし軍団」の重鎮・つまみ枝豆が芸名秘話を語る
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000095.000007381.html
【面白すぎ!】たけし軍団のユニークな芸名まとめ【ビートたけし】【北野武】
たけし軍団員にビートたけしが名付けてきた芸人名一覧!
(ZENMAI 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)