人類の歴史は戦争の歴史でもある。戦争が契機となって、現代当たり前となっている娯楽や文化が形成された例も多いとはいえ、なんとしても避けて欲しいという思いは多くの庶民が抱くところだろう。そのような数々の戦争の中には、思いも寄らないものも存在する。
そして史上最も長かった戦争と呼ばれる「三百三十五年戦争」は、その象徴的な例の一つであろう。
この戦争はオランダとイギリス南西沖のシリー諸島との間で、その名の通り1651年から1986年までの335年にわたり展開された戦争である。しかし、この戦争では一発の銃すら撃たれたことがなく、負傷者・死傷者が0人という世界で最も犠牲者の少ない戦争としても知られている。
一体、なぜこのような戦争となったのか。そもそも、なぜ終結までこれほど時間がかかったのだろうか。
長期間に渡った戦争といえば、ジャンヌ・ダルクが活躍したことで有名な百年戦争がある。フランス王国の王位継承とイングランド王家がフランスに有する領土を巡って行なわれた百年戦争は、数々の紛争と疫病による休戦をはさみながら、1337年から1453年までの100年を越えて行なわれた戦争だ。
現在のフランスやイギリスの形成に大きな影響を与えた出来事として、世界史でも特に重要な戦争の一つとされている。だが、三百三十五年戦争は百年戦争と異なった事情を持っていた。
戦争の発端は1651年のイギリス。王国派の軍と議会派の軍との二大勢力による軍事衝突が、この時すでに10年ほど争われている最中だった。徐々に追い詰められていた王国派は、結果的に本土での居場所を失い、領地であったシリー諸島へ撤退することとなったが、ここにきてなんと王国派とトラブルがあったオランダが、同盟を組んでいた議会派とともに参戦してきたのである。
ついにオランダの宣戦布告がもたらされ、いよいよ戦争が開始された。かのように思われたが、事態は急展開を迎える。なんと宣戦布告直後に、王国派が降伏してしまったのだ。これにより、一発の銃弾も撃たれず、一滴の血も流れずに事態はあっさりと終息した。
ところが、それから300年以上もの月日が流れた1985年。シリー諸島の歴史家ロイ・ダンカンがロンドンのオランダ大使館に、1651年以来「シリー諸島はいまだ”戦闘中”である」という旨の手紙を送った。宣戦布告したオランダ軍が、当時正式な戦争終結を宣言していなかったというのである。
降伏があまりにも早かったこと、そして宣戦布告がごく一部の地域にだけなされたことなどが相まって、終結そのものが曖昧なものとなってしまっていたのだ。翌1986年4月、二国間で平和条約が締結され、335年間に及ぶ戦争はついに終戦を迎えた。
かつてストックホルムオリンピックで棄権の意思を伝えなかったために、失踪・行方不明扱いされてしまい、54年8か月6日5時間32分20秒3という完走最長タイム記録を刻み込んだ元マラソン選手金栗四三(かなくりしそう)を思い起こさせるような出来事だ。
実際に先住民と征服者との間で300年以上続いたというアラウコ戦争のような例はあるが、正式な終結が宣言されなかったために延々と継続されていることになっていたというのは、実に不思議な話である。
だが、このような状態になった最大の理由は、「戦争」の定義が近年の国際法などによって変化したことによるものだ。そのため、紀元前のペロポネソス戦争やポニエ戦争が、1980年以降になって正式に「終結」されたという例もある。それらを踏まえると、実に2000年以上も戦争状態であったという風にも言えてしまうのだ。
戦争にもあらゆるルールがあるとはいえ、それによってこうした実に不可解な事象を招いてしまっているというのもまた事実である。
【参考記事・文献】
最も長い戦争は、最も平和な戦争だった
https://gaku-sha.com/history/335-war
死傷者ゼロ!?オランダvsイギリスの戦争は335年続いた
https://zatsugaku-company.com/netherlands-england-war/
(ナオキ・コムロ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像 ISS Crew Earth Observations experiment and the Image Science & Analysis Laboratory, Johnson Space Center – http://earthobservatory.nasa.gov/Newsroom/NewImages/images.php3?img_id=17615, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3967955による