オウム真理教による地下鉄サリン事件が発生した1995年3月20日からわずか10日後、国松孝次(くにまつたかじ)警察庁長官(当時)が、都内の自宅マンションを出たところ何者かによって銃撃されるという事件が発生した。
警護のSPがかばう中、国松長官は4発の発砲中3発の銃弾を受けて重傷を受けたものの、その後一命を取り留めた。同時期での犯行から、オウム真理教の関与も視野に入れられたものの狙撃犯の特定には至らず、2010年に公訴時効が成立し未解決事件となっている。
目撃証言によると、犯人は身長約180センチメートルで40歳ほどの男性、紺色のトレンチコート姿に帽子をかぶり、白いマスクをつけていたという。犯人は、長官の住むマンションの敷地内にある柱に隠れて待ち伏せしており、犯行後は黒い自転車に乗ってマンション裏の路地を通って逃走した。だが、当日雨天であったことも災いしてか、通勤時間帯であったにもかかわらず捜査本部は逃走経路の把握に失敗したという。
犯人像として真っ先に目を付けられたのは、冒頭でも述べた通りオウム真理教であった。そんなさなか、同年6月に元オウム信者の現職警察官が、狙撃への関与を自供したことが明らかになった。元信者の警官は、5月初旬から実行を認める供述をし始めており、犯人でなければわからない証言もあったことから、犯人であると確信が持たれた。
だが、拳銃を捨てたと証言する場所から物証が見つからず、それどころか違法な軟禁状態での取り調べであったことも発覚した。はじめから、オウムの犯行であることを前提とするものであったと言われている。
その一方で、現場に残された遺留品に「朝鮮人民軍」とハングルで書かれたバッジや韓国の10ウォン硬貨などがあったため、北朝鮮の工作員が犯人ではないかとも考えられていた。ある捜査によると、とある北朝鮮工作員が狙撃事件の直前と直後に不審な動向があることを突き止めていたという。だが、遺留品に対しては「オウム真理教がオウム以外の犯行に見せかける為に残した」という見方が強かったこともあり、結果としてこの捜査はそれ以上掘り下げられることは無かったという。
このそれぞれの捜査はまるで異なっているようにも思えるが、現在では、オウム真理教は北朝鮮とつながりを持っていたとする説が有力視されている。そもそも地下鉄サリン事件が、オウムと北朝鮮が手を組んで首都壊滅を狙っていたのではないかとも言われている。オウムが所持していた神経ガスといった化学兵器は、ロシアが絡んでいるとも見られているが、ロシア経由でオウムの幹部が北朝鮮に渡航していたとも言われており、なんらかのつながりはあっただろうことが考えられる。
現在、国松長官の狙撃事件は、中村泰という無期懲役刑に服する老受刑者であったというのが有力であるとされているが、先の北朝鮮工作員容疑者説と同様、オウムに固執した捜査の為に当時は検挙されなかったという。この狙撃事件は、捜査上の思惑が迷走を招いたことで、あらゆる実相をつかみ損ねた失態の象徴と言えるかもしれない。
【参考記事・文献】
別冊宝島編集部『昭和・平成「未解決事件」100』
文集ムック『昭和平成「怪事件の真相」47』
元公安刑事が語る北朝鮮とオウム真理教の日本攻撃のシナリオ
https://ameblo.jp/chanu1/entry-12035182997.html
闇に葬られた「オウム・北朝鮮」の関係:サリン製造技術から警察庁長官狙撃事件まで–春名幹男
https://www.huffingtonpost.jp/entry/asahara-20180710_jp_5c5d7696e4b0974f75b2d778
(黒蠍けいすけ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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