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船で生活を送る漂泊の民「家船」現在も残るその文化とは

山の漂泊民「サンカ」と呼ばれる人々が、かつて日本には存在していた。彼らは、山で非定住の生活を送り、竹細工や農具の修理などによって生計を立てていたと言われている。

彼らはまた、士農工商という身分階級に含まれず、またエタ・非人といういわゆる賤民という身分とも違う“間”の存在いわば「境界の人(マージナルマン)」と称されている。そして、サンカ以外にもマージナルマンとされる「海の民」と呼ばれる人々がいるのだ。

東南アジアや中国南岸には、船を住居として漁業を営み生活する人々が存在しており、漂海民や漂白漁民といった名称で呼ばれていた。そうした、船の上で生まれ、暮らし、生涯を終えるという人々が、日本では主に瀬戸内海で確認されており、その居住様式は「家船(えぶね)」と呼ばれていた。これが家船漁民、すなわち海の民である。

家船漁民の起源については、一つに農地が少なかったために船住居を始めた、あるいは時の支配権力に抵抗して海に逃れたという説がある。これは有史以前からの漂海民であったとする説で、東南アジアや中国の船住居と共通する事情であったと考えられている。

もう一つは、中世時代の海賊の末裔であるとする説である。室町・戦国時代にその名を轟かせていた「村上水軍」と呼ばれる瀬戸内の海賊がかつて存在しており、その傘下であった漁民の末裔が家船漁民なのではないかというものだ。




家船漁民は、魚を追って海を移動していき、本拠地とする村から漂泊移動をしてその先々で決まった「船泊まり」場所を持っていたという。また、ほぼ一年を通して船上生活するといっても、船の修理、真水の補給、食糧や雑貨の入手、自分たちが獲った魚を売るといった理由で、陸上との関わりは不可欠であった。

時代が下っていくにつれて、彼らの「陸(おか)上がり」(陸地生活への移行)も増加していき数を減らしていったものの、現在でも広島県の豊島では、夫婦で一年中を船上で過ごす家船形態の漁民が残っている。

漂泊民であるサンカと家船漁民は、山と海とで対を成しているように見えるが、無関係であったわけではないと考えられている。特に造船については、海岸のみで行なうのではなく山で造船をして川で下ろすといった工程も考えられる。山の民と海の民が、こうした機会によってつながっていたのではないかとも言われている。

そもそも、海の民が川を登り山へ住みついたのが山の民の形成に関わっているのではないかという説もある。正史には決して現れない、いわば隠れた歴史を築いてきた「マージナル」の人々の解明は、まだまだ多くの謎を残している。

【参考記事・文献】
・金柄徹『家船の民族誌』
・五木寛之『サンカの民と被差別の世界』

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(にぅま 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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