昔話の中でも、日本最古の物語と言われる『竹取物語』は、現代でも「かぐや姫」という名で誰もが知る物語となっている。竹の中から生まれ、最後に月へ帰るというSF的な描写は、とても強く印象に残るものである。
作中においてかぐや姫は、ある罪を犯したことの罰として地上に降ろされたという事情が語られている。しかし、物語はその償い(祓い)が済んだという説明しかなく、かぐや姫が一体どのような罪を犯したのかについては触れられていない。実は、かぐや姫の前世譚ではないかとされる話が残っている。
富士浅間神社の縁起の一つ『浅間御本地御由来記』(せんげんごほんちごゆらいき)には次のように描かれている。五万長者のひとり娘の前にかつら男(お)と名乗る童子が現れ、白蛇となって彼女の体の中に入り込み、徐々に妊婦の姿へと変わっていった。だが、彼女は公家に見初められ婚約を迫られていたさなかであり、婚約者以外の子を身ごもったことをとがめられ長者から追放されてしまったという。
もう一つの縁起『富士浅間大菩薩事』(ふじせんげんだいぼさつのこと)では、次のように描かれている。子の無い老夫婦が神仏に願うと、ある日竹の中から女の子が現れ、「赫野姫」(かぐやひめ)として育てることとなった。美しく育った娘は国司と結婚するが、老夫婦がこの世を去ると事態は一変、自分は富士の仙女であり、前世で縁のあった老夫婦への報いが済んだと言って、消えてしまったという。
これらがかぐや姫の前世譚であるとすると、かぐや姫の罪がなんであるかがおおよそ見て取れる。御由来記における婚約者以外の子を宿すという娘の描写は、「姦淫」に相当しており、これは明確に罪として認識できるが、実のところそれだけではない。
大菩薩事においては、赫野姫が明らかに人ならざる子いわば神仏の化身として現れる。何が問題になるかというと、そのような神仏たる存在が地上の人間と結婚したことである。本来は、老夫婦に報いるために地上へ降りたのに、地上の人間である国司と結婚するという “道ならぬ恋愛”、つまりタブーを犯してしまったのだ。
さらに、かぐや姫の罪がそのような単なる個人的な話であるかと言えば、そうとも言いきれない。大菩薩事においては、結婚相手の国司も当然タブーを犯した存在であるが、罪を負ったのは赫野姫の方だけである。また御由来記においては、彼女の前に現れたかつら男が人の子となって衆生を救いたいと願う蛇神であったことが重要である。
伝承において蛇と人間の関わりは、ヤマタノオロチ伝説にある生贄などにもあるような契約関係の下にあった。かつら男が「衆生を救いたい」と願ったのは、言うなれば蛇神を信仰した人々の願いに他ならない。つまり、娘は単に蛇神の子を宿しただけではなく、人々の願いを一身で背負った神仏そのものと同一化した存在となったのだ。
かぐや姫の罪とは、姦淫や禁忌を破ったということだけでなく、それどころか自分以外の人々の罪をも背負ったものであったと考えられる。複数人からの婚約を無理難題で断り、老夫婦の子を授かりたいという願いを一貫してつき通したことで、かぐや姫はようやく罪が祓えたのだ。
【参考記事・文献】
三橋健『かぐや姫の罪』
(ナオキ・コムロ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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